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実は私、ポジティブシンキング が苦手なんです。

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今回は(今回も?)、本当にどうでもいい話です。

いい加減記事更新をしたいので、あまり人には言わない方がいいんだろうけど、ずっと気になっていたことをぼやいていくことにしました。(なんでや?)

実は私、「ポジティブシンキング」がちょっと苦手です・・・

いや、素晴らしい考え方であることは承知していますし、その思考を取り入れたことで、何度か救われた経験もあります。(この記事の中にも、何度かそれらしき言葉を使っているはず。あんまり覚えてないけど。)

そんな、世の皆さんから絶大な支持のある(たぶん)「ポジティブシンキング」に対して、なぜこんな気持ちになるのかを、自分の思考と感情の整理という目的だけでまとめていきます。

おそらく結論としては、単に私が、ひねくれ者、少数派、変人・・・ということになるのでしょう(笑)。

こじらせ感をプンプン漂わせながら、なんとか1記事を仕上げたいという思いで書いていくので、論理破綻、支離滅裂な内容になることは、今から目に見えております。

そのあたりをどうかご理解のうえ、お付き合いいただけると幸いです。

そして、きっと限りなく少数派ではあるのでしょうが、共感していただける方がいたら嬉しいです。

読みたい箇所からどうぞ

「ポジティブシンキング」って何?

今一度、ポジティブシンキングとは何かを、ウィキペディア頼みで、ざっくりおさらいしてみます。

積極思考(ポジティブ・シンキング)は、なんでも前向きに物事を考えればそれは実現し、人生はうまくいく、という考え方、物事の良い面を見ようと努め、ポジティブな姿勢を保ち、「思考そのもの」を変えることで現実を変えることを目指す思考法である。ポジティブな思考はポジティブな現実を、ネガティブな思考はネガティブな現実をもたらすとされる。

引用元:ウィキペディアより一部引用

そうですよね。本当にそのとおりだと思います。

「思考は現実化する」ってことなのかなと私は解釈しましたが、その解釈が間違いでなければ、このポジティブシンキングは、決して否定するものではありません。

それどころか、実生活で少なからずそれを体感していることから、自分が今どんな思考をしているのかを、できるかぎり意識して過ごすよう努めるほど、私はこの考え方に大きく影響を受けている一人なのです。

そういうわけで、ポジティブシンキングには、多くのメリットがあることは実感しています。

ただ、この世にあるものはすべてにおいて、メリットがあれば当然デメリットも存在するわけなので、メリット部分の詳細は他の有益サイトにお任せするといたしまして、今回はデメリット的なことを語っていくような感じになるのかなと思います。

とはいえ、専門家でもないただの凡人の持論ですので、内容に誤りがあることは否めません。

「世の中にはこんな変わった考え方をする人がいるんだな」くらいに留めておいていただけると幸いです。

過度なポジティブシンキングに違和感

私がポジティブシンキングが苦手と感じるのは、過剰な使われ方による違和感からきているのかなと自己分析しています。

極端な例なのかもしれませんが、嫌なことや辛いこと、悲しいことがあった時には、いわゆるネガティブといわれる感情になるのは当然のこと。

それなのに、半ば強引に「大丈夫大丈夫!ポジティブポジティブ!前向き前向き!」といい聞かせている様が、私にとってはとても不自然に感じるのです。

こういう人を見ると、私はこんなふうに思ってしまいます。

  • 少しくらいは素直に感情を吐露したっていいんじゃないのかな?
  • そんなに振り切ると、反動が大きなるから、後でもっと辛くなるんじゃないのかな?
  • そんなことばかりしてると、そのうち自分の感情がわからなくなってしまうんじゃないのかな?

はい、酷いこと、冷たいこと、おかしなことをいっているのは、承知しております。

ここで断っておきますが、空気を吸うようにいとも簡単にポジティブ転換できる強者もいるのでしょうし、それをしないとやっていけない環境で生きている人などもいるでしょうから、それはまた別の話と思ってください。

私がいいたいのは、こんなことです。

自分にとってネガティブと捉えられる出来事が起きた時に、そのネガティブな現実やそれに伴う感情に向き合わないまま、ポジティブシンキングに急転換しようとする様は、痛々しくて不自然で違和感だらけである。

とはいっても、職場や学校などの社会的な場で、ネガティブな出来事が起きた時には、早急に気持ちの切り替えが必要な場面が多々あり、そんな時には、ちょっと強引ではあってもポジティブシンキングが一役買ってくれます。(経験者)

一時的な対処法としては、ある一定効果はあると思います。

あと、ポジティブな未来を思い描くことも、現実化のためには必要なのでしょう。

ただ、今ココの現実を正確に把握することなく、今の自分の感情からも目を背けた状態で、いくらポジティブを連呼したり妄想したとて、人生が変わるほどのポジティブな現実が訪れるのかな?と甚だ疑問に思うのです。

まあ、これも、大きなお世話なのでしょうが。

ポジティブシンキングを期待する社会に馴染めない自分

これも、完全なる持論であり私の肌感覚であり、まったくの根拠のない話ですが、世間というのは人に対してポジティブシンキングを求めがちであると、私は感じています。

そして、そんな社会に馴染めない自分がいるのです。

嫌なら嫌、辛いなら辛い、そんなネガティブとされる感情を素直に吐露できれば、こんなに楽なことはありません。

そんな感情の吐露を、他人に不快感を与えずに上手にできる人はいるものの、大多数の人間は、どんなに嫌なことがあっても、いわゆるネガティブとされる感情を押し殺して社会生活を送っています。

それで、社会が円滑に回っている(ように見える)わけなので、職場や学校、コミュニティ等の中で、程度の差こそあれ、ネガティブ感情を露わにしている人に対しては、嫌悪感を抱きがちなのではないでしょうか。

「みんな、我慢しているのに」と。(本当はみんなというより自分が我慢しているからだと思いますけど)

ゆえに、ポジティブシンキングを駆使する人に対しては、「こんな時でも前向きに捉えられるすごい人だ」「辛い顔一つ見せず明るく振る舞っているよくできた人だ」「感情のコントロールのできる大人な人だ」などと高評価をつける(そういう態度を期待している)のでしょう。

そうすれば、自分にも悪影響が及ばないということもありますし。

そして、悲しんだり落ち込んでいる人に対して、こんなことを言ってしまうのではないでしょうか。

  • 「こういう時こそ、ポジティブ!ポジティブ!」
  • 「もう終わったことだから、次にいこっ!次っ!」
  • 「そんなこと、たいしたことないじゃないよ、私なんかね・・・(と聞いてもいないのに経験談を語る)」
  • 「そういうネガティブな考え方は、またネガティブを引き寄せるよ、前向きにいこっ!」

よかれと思ってなのかなんなのかはわかりませんが、こんなふうに声掛けや励まし、アドバイスをしている人が少なくありません。

たしかにそのとおりではありますし、その気持ちはありがたいのですが

本当に辛い時には、ポジティブワードはけっこうキツかったりするんです・・・

どれだけ魂が震えるような素晴らしい言葉であったとしても、受け取る人や受け取るタイミングによっては毒にも薬にもなる得るということで、そうなると言葉ってほんと難しいです。

ただ、私の例で恐縮ですが、嫌なことや辛いことがあった時に、一番救われた言葉が、「そうだよね、嫌だよね、辛いよね」でした。

人に寄り添うって、本来はこういうことをいうのかなと。

お手軽に人生変わる系な風潮が苦手

「物事を前向きに肯定的に捉えていれば、ポジティブな現実が創られ、人生が好転する」

人によって捉え方に違いはあるのでしょうが、これだけ聞くと、めちゃくちゃ簡単でお手軽に人生が変わりそうなワクワク感があります。

ポジティブシンキングの本質はおそらく別のところにあると私は勝手に思っているのですが、とはいってもこれだけ世に普及したということは、そういった「手軽さ」というのも一つあったのではないかと推測しています。

なので、このポジティブシンキングに出くわすことがあった際に、こんなふうに思ってしまうのです。

(非常にいいづらいのですが・・)

薄っぺらい」というのか、「中身空っぽ」というのか、「お花畑脳」な感じが、どうしても否めない・・・・

ここでも、めちゃくちゃ酷いことをいっているのは承知しています。ごめんなさいです。はい、自分を棚に上げまくりです。

ただ、私はポジティブシンキングのことを、そんな浅はかな思考法であるとは思っていません。むしろ逆です。そうでなければ、ここまで長く大衆の支持を得ることもなかったでしょう。

ただ、「簡単」とか「お手軽」「楽」に見えるものは非常に魅惑的であり、それこそ簡単になびきやすいといえます。大衆にとっては都合のよいもの、まさに大衆ホイホイです。

まあ、ごりごりの自己啓発系やゆるふわお花畑スピリチュアル界隈の宣伝文句としては、もはや使い古された感がいたしますが。

で、いったい何がいいたいのかというと、こんな感じです。

努力の必要がない(ように見える)簡単お手軽な成功メソッドに大衆がなびいていく様や、自分では何も考えることなく「みんながやってるから正しい」「今世間で流行ってるから」で取り入れる風潮、雰囲気が、個人的に苦手だということ。

このポジティブシンキングを本気で実践することや、ポジティブな現実を創造していく過程においては、そんなに簡単でお手軽でキラキラしたものではないはずです。(たぶん)

地に足着けて、努力を継続していくことで達成できる、非常に地道なものだと私は考えています。

それがおそらくポジティブシンキングの本質的なところだと私は勝手に解釈しておりまして、それなのに、「ポジティブと唱えれば誰でも簡単に幸せになれる」的な世間の風潮に、モヤモヤするのです。

いや、めちゃくちゃ飛躍した考えなのはわかっています。私の解釈が間違っている可能性が大であることも承知してます。かなり妄想が入ったやばいヤツです。

それよりも、ここまで書いて、もっとやばしなことに気がつきました。

そんな偉そうなことをいっている私こそが、ポジティブシンキングのことを深く理解しないままに、薄っぺらな知識や情報、経験だけでこの記事をまとめているということです。

なんて恐ろしいこと。人のことはいえません(反省)。

でも、この記事はアップします。いい加減記事更新したいからです〜(泣)。

ポジティブに振り切れば嫌な現実を見なくて済む

嫌なことや辛いことが起きた時に、「その現実を見たくないから、ポジティブに逃げているんじゃない?」という疑問が、私の中で湧いています。

私は本当に、救いようのないほどのひねくれ者です。

ひねくれついでにもう一つ。この世界においては、いくらポジティブシンキングを意識して生活したとて、ネガティブとも思える出来事が起こることは必然です。

そう断言できるのは、今更私がいうまでもないことでしょうが、ネガティブあってのポジティブだからです。

だいたい「ポジティブは善、ネガティブは悪」というイメージを持たれていること自体、私には解せんことなのですが、それはまた後日記事にしていくので、ここではこれ以上は触れません。(またまた、こじらせそうな予感)

嫌なことが起きた時には、その現実から目を背けたい、できればなかったことにしたい、可能であれば時間を巻き戻したいと、大概の人は思うでしょう。(たぶん)

目の前の「嫌な現実」を直視するのは、メンタル的にキツいですから。

だから、こうなるんじゃないかと。

ポジティブシンキングに振り切ってしまえば、そんな「嫌な現実」を見なくて済む。

そして、望ましい未来を「妄想」することもできます。「妄想は楽し」です。ある意味、現実逃避です。

だから、ポジティブシンキングは受け入れられているのではないかと、私は推測しています。

それだけ、嫌なこと、辛いことをたくさん抱えて生きている人が多いということなのでしょうか。

なので、それらを全否定するつもりはありません。

一時的にメンタルを守るという点では、ポジティブシンキングは功を奏するでしょう。私だって経験しています。

ただ、ポジティブシンキングというのは、ネガティブな現実を直視し、ネガティブな感情に向き合うという過程を経たうえでないと本領を発揮しないのではないのかな?と私は勝手に解釈しているのです。(これも、私の経験のよる肌感覚なので、信憑性はまったくありません)

自分の内側・感情から逃れた先に、自分の望むポジティブな現実というのは起こり得ないんじゃないかと、私は最近とみに感じているのです。

どうしたってポジティブになれない時もある

生きていれば、現実を受け入れられないほどの辛い出来事が起こることもあり、どこをどうしたってポジティブ思考になれない時があります。

いや、先に触れたとおり、現実を見たくないからポジティブに振り切る場合もあるのでしょうが、そこまでのキツい状況であれば、逆に心身ともにそのうち疲弊してしまうのではないでしょうか。反動が大きすぎますので。

それに、ポジティブシンキングでは、人や物事のいい面を見ていこうなどと言われますが、どうしても見れない時はあります。

  • どうしても嫌いな人っているし、どうしても嫌な環境はある。
  • いい部分を見ていこうと努めるけど、そう思えば思うほど余計に辛くなる。
  • 頭ではポジティブ思考になった方がいいとわかっているのに、身体や感情がついていかない。

底なし沼のような苦悩です。これにハマると、大袈裟ではなく、人によっては生き地獄です。

私も過去に、ここでは詳しくは語れないものの、それこそ現実を受け入れられないほどの辛い出来事を経験したことがあります。(50年も生きていれば、誰でもあることです)

その時は、最初こそポジティブシンキングを意識していましたが、そのうち自分には無理だと悟り、以降は、心の赴くままにとことんまで落ちて、その苦悩にどっぷり浸かって、悲劇のヒロインさながらにその感情を思う存分味わい尽くしました。

そうこうしているうちに、自然に現実を受け入れ、自然に前向きで肯定的な気持ちになれたと記憶しています。

そういえば、中学生の頃、誰かに言われたことを思い出しました。

「辛い時には、中島みゆきの曲を聴け」と。

中島みゆきさんの曲は、明日への希望みなぎるとても素晴らしいものばかりですが、昔は暗い曲(救いようのないほどの暗い歌詞)が多い印象だったので、悲しみにどっぷり浸かるツールとして好事例だったのでしょう。(同世代ならわかるはず)

たしかに、心底辛い時に、元気とか勇気とか前向きな励ましソングは、いったいどんな罰ゲームかと思います。

まあ、月並みないい方ですが、とことんまで落ちたらもう上がるしかないですし。

あと、時間薬とはよくいったものですし。

なんだか話が脱線してしまった感が否めませんが、ポジティブシンキングになってもいいけど無理してならなくてもいいし、前向きになれない時は別にならなくてもいいし、そんな自分を否定してもいいししなくてもいいし・・・

はい、そんな感じです。(まとめる気、なし)

おわりに

ポジティブシンキングが苦手な理由を、自分の思考と感情を整理するつもりで簡単にまとめようと思っていたのですが、気がついたらこんなに長文になってしまいました。

それなのに、伝えたいことの1/3も伝わっていないんじゃないかと思うほど、自身の文才のなさを痛感しています。

それに、やはり自分は「ひねくれ者」「少数派」「変人」であることが、記事をまとめながらひしひしと感じておりまして、この記事を挙げることを少しためらったほどです。(それでもアップしますよ)

で、最後くらいは、まともなことをしたいと思いますので、ポジティブシンキングに対する私の想いをまとめてみます。

  • ポジティブシンキングは、思考のあり方によって望む未来を現実化させる(好転させる)可能性に満ちあふれている
  • ただ、過度な使われ方やお手軽で都合のよい解釈での活用には、違和感が拭えない
  • この機会に、ポジティブシンキングの本質を追求してみたくなった

今日はこれくらいで。

ありがとうございました。

(とりあえず、これでやっと記事がアップできるっ!)

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この記事を書いた人

40代で公務員を退職。紆余曲折の末、現在はキャリアカウンセラーとして、なんだかんだと生きてます(笑)。

骨の髄まで雑記ブログの当サイト。キャリア関連をはじめ、現在50代である私のくだらない小言や、行ってみたやってみた系の体験談、長年の趣味であるバイクなどを記事にしています。

そんな一介の自己満足ブログでも、いつかどこかで誰かのお役に立つことができたならば、我が人生に悔いなしです。(たぶん)

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