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生き方・価値観の私的見解

他人の心配をする人は優しい?めんどくさい?勝手に心配する人の心理とその対処法

生き方・価値観の私的見解

他人から言われると、なんだかしっくりこなくて違和感を覚えたり、モヤモヤを感じたりする言葉はありませんか。

私の場合は、これ↓を言われた時には、モヤモヤを通り越して、めんどくさささえ感じます。

あなたが心配

巷では、他人の心配をする人は、優しくて思いやりのある人というイメージがあるようです。

でも、時に私は、この言葉に違和感やめんどくささを抱いてしまうことがあるのです。

今回は、なぜそんなふうに思ってしまうのかという理由を語るとともに、他人の心配をする人の心理を探ってみました。

さらに、「あなたが心配」といってくる人への対処法もお伝えしていきます。

もし、心配という言葉に対して、私と同じような感覚の方がいらっしゃれば、そんな方にとっては、少しはお役に立てるのかもしれません。(保証はしませんが)

あくまでも、自身の経験をもとにした個人的見解であること、そして、自戒の念を込めているということを、どうぞご理解くださいませ。

そして、毒舌全開ですので、心して読み進めていただければ幸いです(笑)。

勝手に心配されるのは正直めんどくさいです

まずは、私がなぜ、他人から心配と言われると違和感やめんどくささを感じるのかについて、お伝えをします。

こんなことを記事にすると、「他人のことを心配できるなんて親切で優しくていい人なのに、そんなふうに感じるあなたはおかしいんじゃないか」というご批判をいただきそうです。

はい、たしかに私がおかしいことは否めませんが、それはそれとして、少し言い訳をさせてください。

私は何も、この「心配」という言葉を全否定しているわけではありません。(しつこいようですが、私がおかしい人であることも、否定はしません〜)

これは、時と場合によりまして、例えば、家族や友人など大切な人と何日も連絡が取れないなどという事態になれば、いくら私でも心配はしますし、その解決のために相応の行動を起こします。

それでは、どんな時にモヤモヤやめんどくささを感じるのかといいますと、例えばこんな場合です。

こちらからアドバイスや相談を持ちかけたわけではなく、また、特段迷惑をかけたわけでもない人から、「あなたが心配」と言われること

こういった場合になると、心配してくれている気持ちはわかるけれど、はっきりいって余計なお世話だと思ってしまうのです。

別にあなたに心配されるほど、悩んでも困ってもいないんですけど・・・

本当に困った時には、信頼できる人に相談してますので、どーぞご心配なく〜

めちゃくちゃきついことを言ってるのは承知していますが、これが本音なのです〜。

でもですね。

いくら私であっても、自分から悩みや相談を持ちかけたり、アドバイスを求めたり、相手に迷惑をかけていることが明らかである場合は、このような言葉をかけてくれた人には、めんどくさいだなんてとんでもない!逆に感謝の念さえ抱くほどです。

その人との関係性や、その人自身のキャラクター、その時の自分の心理状態にもよるので一概にはいえませんが、頼んでもいない人から心配だと言われることそしてその対応をしなければならないことに、正直めんどくささ、うざったさを感じるのです。

勝手に心配された体験談

では、実際に他人から勝手に心配された体験談(一例)を語ってみます。

ここでも、「え?そんなことで?」と思われてしまうほど、世間一般の方からはご理解いただけない内容なのしれませんので、もしそう思ったのなら、悪いことは言いません、そっと離れてくださいませ〜。

※ カッコ内の言葉は、私の毒舌つぶやきです。

  • 子供がいないと、老後は淋しいし、面倒みてくれる人もいないから心配ね。(そもそも子供に面倒をみてもらおうという思考の方が心配だわ)
  • 公務員を辞めちゃうなんて何かあったの?心配〜。(いや〜何もないですって)
  • え?今無職なの?大丈夫?この先の生活が心配ね。(そんなことは当然の如く考えてるし、こうみえてけっこう楽しくやってるし、そもそもあなたに迷惑かけてないし)
  • 生命保険に入ってないの?心配じゃない?(自分なりに調べた上で、今の自分には必要ないという結論に達したんですけど・・・そもそもあなたに迷惑かけてないし)
  • あなたは主義主張がはっきりしてるから、結婚できるか心配だわ。(その後に結婚しまして20年以上経っております。それに、そもそも結婚ってしなきゃいけないもの?)

どうでしょうか。私の毒舌の方がインパクトがあったのかもしれません(苦笑)。

黒歴史も、晒しまくりですし。

いずれにしても、私から相談したわけでもなく、直接的に迷惑をかけているわけでもない人から言われた「心配」のごく一部です。

そして、毒舌な私は、さらにこんなことを思ってしまうのです。

それは、あなたの価値観や考え方ですよね

「それは、あなたの感想ですよね」のひろゆきさんをパクってるんじゃないか?・・・なんて思われたのかもしれません(苦笑)。

でもやはり私は、頼んでもいない人から、価値観や考え方を押し付けられているように感じてしまい、そこから、モヤモヤや違和感、めんどくささを抱いてしまうのです。

この「心配」という言葉を放つ人は、その人のためによかれと思ってやっていることが多いとお見受けしますので、それがまた厄介といいますか、タチが悪いといいますか・・・(注:個人の感想です)

なので、さらにこんなことまで思ってしまうのです。

これは私の問題であり、あなたの問題ではないでしょう?

こんなことを書いてしまうと、「何もそこまで思わなくても・・・」なんて違和感を抱く人もいるのでしょう。

私の方がもしかしたらもっとタチが悪いのかもしれませんが、これが正直な気持ちなのです。

勝手に心配する人の心理を探ってみた

そんな偉そうなことをほざいている私ですが、この心配ワード、過去の自分を振り返ってみた時に、知らず知らずに他人に対して使っていることに気づいてしまいました(汗)。

ほんと、人のフリみて我がフリ直せです。

ゆえに、自分がどんな時に、他人に対して勝手に心配ワードを使ってしまっていたのかを探るべく、自分の内面を掘り下げてみました。

自分を実験台にして、勝手に他人の心配をする人の心理を探ってみたのです。

すると、こんな心理が浮き彫りになりました。

  1. 心配するというのは、相手を一人の自立した人間として尊重していないし、信頼もしていないからじゃないのか
  2. 他人のことを心配することで、結局は自分が安心したいだけなんじゃないのか
  3. 他人を心配することで、いっとき自分の自尊心や承認欲求を満たすことができ、さらには優越感に浸れることを、無意識下でわかっているからではないのか

「いやいや、心配するというのは、その相手のために役に立ちたいという純粋な思いからきてるんだから、そこまでいうのは大袈裟だし、そんなにひねくれなくても・・・」という声が聞こえてきそうです。

たしかに、そういった純粋な思いからきていることは否定しませんし、そもそも私は心理学的な専門家ではないので、自分の言っていることが正しいなどと言い切るつもりは毛頭ございません。

でもですね。自分でいうのもどうかとは思いますが、「当たらずしも遠からずかな」なんて自負しているところもあるのです。

なぜそういえるのかといいますと、それは自分の経験則からです。(それだけかいっ?とツッコまれそうですが)

これまで、人を心配したり人に心配されたりの経験を山ほどしてきましたが、そこから得られた気づきが、上記に挙げた3点なのです。

これをもう少しだけ説明すると、次のとおりです。

一つは、大人の世界であれば、一人の自立した人間として尊重し信頼している人に対しては、例外を除き、そもそも心配なんてしないということ。

二つ目は、心配なのは他人ではなくほかでもない自分自身であり、ただ単にその心配を他人に投影しているだけなんじゃないかということ。

そして三つ目は、「自分は人のことまで考えられる善良な人間である」「私は人の役に立つ人間である」という自尊心や貢献感、承認欲求を満たすために、自分でも気付かぬうちに、人のことを心配していたということ。

それにプラスして、人を心配することで、「この人よりも自分の方が優位に立っている」という優越感を得るために、無意識にやってしまっているということも。

で、ちょっと乱暴なのですが、これらの心理をざっくりと一言で表現してみたら、こんな感じになりました。

頼まれてもいないのに他人の心配をするのは、自分が満たされていないから

人の心配をするというのは、結局のところ自分に不満や劣等感があるんじゃないかなと、自身の経験を通して実感しています。

そして、自分の人生に集中すればすむことなのに、他人の人生にズカズカと介入するなんて無粋極まりなく、さらに、よかれと思ってやっているその行為が、なにげに他人の心を乱しているのです。

それが、他人の心配をしている本人自身が気づいていないという悲劇・・・

ゆえに、心配という言葉には、秘めた危うさを感じています。

心配という言葉は、それを言われた人にとっては、なんとも言葉にできない違和感やモヤモヤをいつまでも残存させたり、余分なめんどくささを感じさせます。

そしてそれ以上に危ういのは、それを言っている本人が、無意識下で、自分の不満や不安、劣等感を解消させる一つとして、他人によかれと思って使っているということです。

今回、過去の自分を探ってみて、こんなことに気づいた私は、これからは、相談を受けたり、迷惑をかけられているわけでなければ、そして緊急事態でもなければ、もう他人のことで余計な心配をしないようにしようと思いました。

それは、尊敬と信頼を持って他人と関わっていきたいという思いがあるからです。

そして、心地よい距離感で人との関係を構築している人というのは、もれなく自分の人生に集中していますので、私もそんな成熟した人になりたいという思いもあるからです。

そもそも、自分の人生に集中していれば、他人にどうこう言っている暇なんてなんじゃないかと。

「あなたが心配」と言ってくる人への対処法

アドバイスなどを求めてもいないのに、勝手な思い込みで心配という言葉を口にされると、正直、余計なお世話だと感じてしまう私です。

もし、心配ワードを言われて、私と同じように違和感やモヤモヤ、めんどくささを感じるようであれば、こんな対処法はいかがでしょうか。

これはあくまで一例ですが、こんなこと↓を心の中で思いながら、華麗に笑顔でスルーしちまいましょう!(やはり毒舌注意ですよ)

他人の心配をする暇があったら、どーか自分の人生に集中なさってくださいましな〜

そして、こんな感じ↓で適当に交わすという方法も。

あ〜、そうなんですかぁ〜、あなたはそう思うんですねぇ〜

「否定も肯定もせず」が賢明ですよね。

その後に、(求めてもいないのに)アドバイス的なことを言われたのであれば、こんな言葉はいかがでしょう。

(ニコッと笑いながら)お勉強になりま〜す

何にしても、ここに挙げたのはあくまでほんの一例ですので、自己判断でお願いしまーす。

一番の対処法は、物理的にそっと離れることでしょう。

でも、今すぐにそれが難しければ、自分の受け止め方、捉え方を変えていくことで、モヤモヤや違和感、めんどくささを解消できるのかなと思っています。

私の場合は、こんなふうに思うことで、気持ちの切り替えをするようにしています。(あくまで一例です)

「この人はそう思うんだな。でも私はこう思う。(それに正解も間違いもない)」

「自分はなぜこの言葉にモヤモヤや違和感を抱くのかな。この機会に自分の内面を探ってみよう。(客観視)」

「また一つ、こんな経験ができたな。ブログのネタになるかも。」

そして、ちょっとおかしな話になるかもですが、最後はこんなふうに思うことで、もう本当にどーでもよくなってしまう時があります。

「起こることは必然。すべて決まっているのであれば、ま、しょうがないか。」

この記事を書き上げましたら、これまで他人から言われた心配ワードをできるかぎり手放して、今のこの瞬間瞬間を大切にしながら、自分の人生に集中して過ごしていきたいと思ってます。

まとめ

他人の心配をする人について、自身の経験談をもとに、独断と偏見と毒舌全開で語ってみました。

ここで、今回の内容をまとめてみます。

  1. 勝手に心配されることに違和感やめんどくささがあるのは、その人の考えや価値観を押し付けられているように感じるから。
  2. 他人の心配をする人の心理は、結局は自分が満たされていないから。その人の心には、自尊心、承認欲求、優越感(劣等感)などが潜んでいると思われるが、当の本人はそれに気づいていないという悲劇。
  3. 勝手に心配してくる人の対処法は、基本は笑顔でスルー。否定も肯定もせず適当に交わすのが賢明

この激動の時代、他人に余計な心配なんてしてる暇などありません。

自分の人生を精一杯生きていきたいし、そういう考え方の人たちと共存していくのが、私の望みです。

はい、今日はこれでおしまいっ。

ありがとうございました。

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