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【昭和あるある】携帯電話がない昭和の女子高生はどうやって連絡を取り合っていたのか

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このブログのトップページには、「50’s 昭和世代のアレやコレや」という文言を掲げております。

それなのに、これまで「昭和ネタ」をおそらく一つも挙げていないことから、若者の昭和レトロブームが廃れてしまう前に、このあたりでこんな記事でも書いておこうかと。

同世代の方には、古き良き(?)昭和の時代を懐かしんでいただけるのではないかと思います。

そして、なにかと気忙しい年末ですので、この記事がまったり癒しのひとときにでもなっていただけたら幸いです。

読みたい箇所からどうぞ

携帯がなくても何とかなった「昭和の連絡手段」

私が高校生の時は、まだ(かろうじて)昭和だったのですが、携帯電話もインターネットも一般には普及していない時代。

かなり昔に同世代の友人K子から聞いた話を思い出したのですが、友人K子が30歳くらいの頃に、一回り下の人たち(当時18歳くらい)から、こんなことを言われたそうです。

えーっ!?
K子さん、高校生の時、携帯電話、なかったんですかぁ?

じゃあ、友達とはどうやって連絡を取り合ってたんですかぁ〜??

その時、友人K子はこう言い放ったそうで。

何を言っている?
携帯などなくとも、いくらでも連絡の取りようはあったのだよ。

まさしくそのとおりで、私も友人同士で連絡を取り合うのに、その時は特に不都合を感じたことはなかったし、それなりに楽しい高校生活を送れていたのです。

では、そんな昭和の女子高生が、携帯電話もインターネットもない環境で、どうやって連絡を取り合っていたのでしょうか。

今でいうコミュニケーションツール的なものを、リアルな体験談としてお伝えしていきます。

昭和世代といっても、年代や環境等によって違いがあることをご了承ください。ちなみは私は、昭和40年代(1965年以降)生まれで、片田舎の男女共学公立高校出身、どこにでもいるごく普通の高校生でした。

「固定電話」があるじゃないか

そう、固定電話という「便利なもの」が、私が高校生の時には、一家に最低一台鎮座していたのです。

友人との遊びの約束も、悩み相談も、あんなことやこんなことまで、だいたいコレで事が足りてました。

例えば遊びの約束をする際は、事前にこの電話で待ち合わせの日時や場所をきっちり決めておけば、ほぼほぼ問題はありません。

だからなのかどうなのか、遅刻やドタキャンはそれほどなかったように記憶しています。

固定電話は、ダイヤル式の「黒電話」が一般的。

昭和レトロ好きな今の若者であれば、コレをみて「エモい」と思うようですが、私の場合は、親から「いつまで喋ってるの!電話代がもったいないでしょ!!」と怒られた記憶しかありません。

どうでもいいんですが、NTT がまだ電々公社だったことを覚えているのは、私と同世代以上の人間なのでしょう。

ここで、調子に乗って「黒電話あるある」を挙げていきたいと思います。

コレに共感できる方は、まぎれもなく同世代です!

固定電話(ダイヤル式黒電話)あるある
  • 固定電話の置き場所は、たいがいが「玄関」である。長電話になると床の上に座り込んでしまうので、寒い冬の時期は身体にこたえる。
  • 電話機の置き場がリビングなどの家族が集まる場所にある場合、友人との会話は家族には絶対に聞かれたくないため、コードを極限まで延ばした電話機を、玄関や廊下、階段などに移動させて対策をした。
  • 友人宅に電話をかけた際、最初に電話口に出た人を友人と勘違いしてタメ口で喋りはじめたら、友人の母親だった。逆も然りで、高校生ともなると母親と声が似てくるらしい。
  • クラスの緊急連絡網で架けてきただけなのに、男子からの電話には異常なほど敏感で耳がダンボな家族。
  • 電話番号の入力はダイヤルを右方向に指で回転させるが、一番遠くのダイヤルの「0番」が元の位置に戻るまでに時間がかかるので、急いでいる時にはちょっとイラッとする。
  • 指を離せばダイヤルは自動で元の位置に戻るにも関わらず、せっかちな私は、ダイヤルに指を入れたまま「0番」まで戻ってみる。(うまく言語化できないけど、この意味がわかった人は素晴らしい!)
  • 通話中、すでにクルクルになっている本体と受話器を繋ぐコードを、さらに指でクルクルにさせてしまう。
  • 黒電話がいかつくてお洒落じゃないということで、花柄とかフリフリレースのカバーをかぶせてみるも、それがもとで、インテリアの方向性を完全に見失う。

おそらく9割以上の方がドン引きしてしまったであろう、数多くの「あるある」を挙げてしまいました。

でも、これらは、私及び私の周辺にいる同世代人間から聞いた話を元にした貴重な(?)実話なのです。

「手紙」はタイムラグがエモい

携帯電話やインターネットが普及したとて、手紙(文書)という紙媒体でも連絡を取り合うことは、令和の現在でも続いていることです。(特に役所系は)

私が高校生だった頃など、まだまだ手紙文化は元気だったように記憶しておりまして、勉強机の引き出しには「レターセット」なるものが常に置いてありましたし、そのレターセットを選ぶのも楽しみの一つでした。

とはいっても、手紙というのは、近況報告とか情報共有、想いを伝えるなど、緊急性のそれほど高くないものに限られていたように思います。

「黒電話」があるので当然のことでしょうし、手紙ではタイムラグがありすぎますので。

でも、そのタイムラグが楽しかったのです。

距離的な問題ということはもちろん、相手のことを考えながら自分の想いを「文章」にするとなると、ある程度時間がかかります。当時はほぼ手書きでしたし。

でも、そのタイムラグがあることで、「あの手紙、まもなく届く頃かな?もう読んでくれてるのかな?」と相手に想いを馳せることができます。

タイムラグがあるからなのか、返事が来た時の嬉しさとか、そこに何が書いてあるのかとドキドキワクワクする気持ちがより一層高まったのではないかと、今となっては懐かしく思うのです。

思春期に、そういった感情をごく自然に味わえたというのは、今思えばとても幸せなことだったんじゃないのかなと。

昭和の女子高生の間で流行っていたもの

高校時代、雑誌をきっかけに「文通」をはじめた友人がいた。

そういえば、昭和の雑誌には「ペンフレンド募集コーナー」が設けられており、そこには、氏名と住所(電話番号も?)といういわゆる「個人情報」なるものが、ばっちり掲載されている。

それらがないと文通は成立しないのだが、にしてもあの時代はいろいろ平和だったんだなぁと・・・(遠い目)。

あ、そうだ。いくら急ぎの用だといっても、さすがに高校生同士で「電報」は使わなかったです。

「じゃあ、緊急時はどうしてたの?」という疑問が湧いてくるかもですが、次のようなことをしてなんとか凌いだものでした。

用件を書いた「メモ」を授業中に回すこともできたぞ

緊急の際には、いわゆる「メモ回し」なるものが大活躍したのです。

これは、授業中に用件を書いたメモを、届けたい相手まで回してもらうことです。

といいますか、さほど急ぎでなくとも、友人とのコミュニケーションツールの一つとなっていたような気がします。

メモに届けたい相手の名前を書いて、その相手にできるだけ最短ルートで届くように回していくのですが、これにはクラスメイトの協力が不可欠。

先生の目をかいくぐりながらのなかなかにリスキーな方法ではありますが、見つからないようにこっそり回すあの感じが、たまらなく楽しかったなぁ〜と(笑)。

「メモ回し」あるある
  • 用件を書いたメモは、折り紙のように小さくたたんで、中身が見えないようにして回していた。
  • なかにはノートの切れ端に殴り書きしたようなものもあり、その紙が折られることなくそのまま回っていたため、書かれている内容が大半のクラスメイトに知れ渡ってしまったものも。
  • たまに先生に見つかって、途中でメモを取り上げられる生徒もいて、そのメモに書かれてある内容を、その場で皆に聞こえるように読み上げられたというエピソードもある。(友人談)

ただ、うちはゆるゆるの学校だったので、ほとんどの先生が、メモ回しを見て見ぬ振りしていたんじゃないでしょうか。教壇からは全体がよく見えるので、絶対バレてますって(笑)。

最終手段は「駅の伝言板」&「公衆電話」

で、いくら事前に会う約束をしたとて、待ち合わせの時間になんらかの事情で「相手が来ない」場合もあるわけです。

これは、待ち合わせ場所が「駅」に限ってしまうのですが、駅にはたいていは、黒板型の「伝言板」なるものが設置されていて、そこに白いチョークで用件が書けるようになっているので、これを活用するという手がありました。

「Aちゃんへ、先に行ってます。Bより」とか「C君へ、しばらく待ちましたが帰ります。D子」とか、なんかそんな感じのやつ。もちろん縦書き。

まあ、最終手段です。

この伝言板、実は私は一度も使ったことはありません。

なので、女子高生の連絡手段とは少し外れてしまうかもですが、伝言板に白いチョークで書かれた切なげな文言はよく目にしてまして、そこで私は私なりに、世の中には悲喜交々な人間ドラマが数多く存在しているんだなぁと感じていたものです。

急用で約束の時間に間に合わないだとか、どちらかが時間や場所を勘違いしている場合もあったりして、それでも一度外出すると連絡が取れない状況になるので、今思えば相当に不便な時代だったのでしょう。

同世代の友人の話だと、過去に2時間待ったことがあるとか。

昭和は、「すれ違い」と「待つこと」が想定内の時代だったのです

あと、待ち合わせ場所に来ない場合は、駅にある「公衆電話」でその人の家に電話をしてなんとか連絡を取ろうとしてしていたこともあります。

その人が家に電話をして家族に伝えている可能性もあるので、何かしら手がかりがつかめるかと思ってのこと。

だから、外出の際は、電話番号をメモした紙やアドレス帳なるものを持参していたように記憶しています。

はい、昭和はそんなめんどくさい時代でした。でも、そのめんどくくさが、私にとってはどこか人間味があって愛おしささえ感じてしまうのです。

自分はやはり、昭和どっぷり人間ということでしょうか。

おわりに:昭和の女子高生はいつも必死だった

携帯電話やインターネットがない時代の連絡手段を語ってまいりましたが、それにしても昭和って、必死さが丸わかりというのか、どこまでも泥臭い時代だったんだなぁということを、この記事をまとめながら気がついてしまいました。

さらっとスマートにこなしていけたら格好いいんでしょうけど、そんなちょっと残念な(昭和と思しき)他人や自分自身を垣間見ると、その人にも自分にも、小さく「ドンマイ」と言ってあげたくなってしまいます。(ところでドンマイは死語なのか?)

それだから、「昭和ってうざい」「昭和ってキモい」って言われてしまうのかもしれませんけど(笑)。

とはいっても、いつも必死な昭和時代に女子高生であったことは、なんだかんだと幸せだったなぁとも思います。

ただ、今のような便利さを一度でも味わってしまっているので、あの頃の女子高生には戻りたくはありません。

それに、せめてもう少し後に生まれて、ミニのプリーツスカートにルーズソックスくらいは履いてみたかったですし。

今回は、これでおしまいっ。

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この記事を書いた人

40代で公務員を退職。紆余曲折の末、現在はキャリアカウンセラーとして、なんだかんだと生きてます(笑)。

骨の髄まで雑記ブログの当サイト。キャリア関連をはじめ、現在50代である私のくだらない小言や、行ってみたやってみた系の体験談、長年の趣味であるバイクなどを記事にしています。

そんな一介の自己満足ブログでも、いつかどこかで誰かのお役に立つことができたならば、我が人生に悔いなしです。(たぶん)

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