こんにちは。もりこねです。
私は、20年以上勤務した公務員を退職した元公務員の一人です。
辞めたからといって、仕事のすべてが嫌だったわけではもちろんなくて、時には思いもかけないうれしい出来事もありました。
その中の一つが、20代の時に関わったある50代の女性からの「ありがとう」という言葉です。
「なんだ~そんなことか~」と思われた方は、ここで離脱してももちろんかまいません。(いや、本当はもう少し読んでほしい・・・)
どんな「ありがとう」もありがたいので、どれが一番、二番とかどっちが上か下かなどのランク付けをするつもりはありません。
でも、今回お伝えする「ありがとう」は、私にとっては生涯忘れられない一番の心に刺さった言葉であり、辛い時に思い返してはカサカサの心を潤わせる、極上の「ありがとう」なのです。
その女性と同年代になった今、同じような状況で「ありがとう」が言えるのかな?と自分を振り返ってもみましたので、それを記事にしていきます。
- 公務員の仕事を垣間見たいという奇特(?)な方
- 辛い毎日に一縷の望みを得たい公務員の方(!)
もし、そんなふうに思っている方がいらしたならば、心してお届けしたいと思います!
前置きとして私の公務員時代のお仕事をざっくりと・・・
本題に行く前に、私の公務員時代の仕事内容を伝えさせてください。
長文で面白みのない話なので、読み飛ばしてもOKです。
私が主にやっていた仕事は、国民から「あること」でお金を支払ってほしいという請求があった際に、それが支払いの基準に合っているかいないかを調査・検証して、支払いをするしない(支給か不支給か)を決めるというものです。
はっきりいっちゃいますと、請求のあったものをすべて「支給」にした方が、請求した人にとってはもちろん嬉しいことですし、我々職員にとっても楽なのです(←あ、言っちまった!)。
我々職員がなぜ楽なのか、それは、請求した人から「なんで支払ってくれないのか!」という文句や苦情を避けられたり、「審査請求」というものが基本ないからなのです。
審査請求とは何なのかということは、公務員の方であれば私がここで説明するまでもないことですが、一応触れておきます。
行政不服審査法
●不服申し立ての種類
「審査請求」が原則となります。(以下省略)
●審査請求をすることができる場合
行政庁の処分については、その処分に不服がある者は、審査請求をすることができます。(以下省略)
●不服申し立てをすることができる期間(不服申立期間)
[1]審査請求
(1)主観的期間
処分があったことを知った日の翌日から起算して3月以内
(以下省略)
出典元:総務庁HP「行政不服審査法」より一部抜粋
自分が行政機関に対して請求したものが、例えば「不支給」の結果となった場合、「それはおかしいぞ!」と不服があれば、それを知った日の翌日から3月以内であれば、その決定を下した行政機関に不服申し立てができますよ、という法律です。
不支給にするには、この審査請求があることを念頭に入れながら、エビデンスに基づき、簡潔・明瞭かつ抜かりのない調査書をまとめる必要があります。(このエビデンスという言葉を一度使ってみたかった!)
審査請求で不支給が支給にひっくり返るなんてこともたまにありますし、ひっくり返らなけば再審査請求へ、さらにその先の裁判までいくこともあります。
もし裁判になれば、その度に不支給の決定を下した組織の幹部職員が、裁判を傍聴しにいくことになります。
もちろん、案件によっては「支給」の場合であっても同様に、詳細な調査書を作成し決定します。
特に15年ほど前からは情報開示請求もできるようになりましたから、該当する行政文書はどこに出しても恥ずかしくないような・・・いやいやツッコミどころのないように抜かりなく仕上げないと、何かあった時に痛い目に遭います(汗)。
そして、国の大事な「お金」、皆さんからお預かりした「税金」を使わせていただくのですから、ここは基準に沿って「公平」に!「適正」に!!「迅速」に!!!判断しないといけません。
ホイホイ支給しちゃう方が楽だし文句を言われないから、そうなるような調査書を作っちゃえ!というのは、やばいことのなのです。
ま、それが決定される前には、幾重にも立ちはだかる上司の「決裁」によって簡単に却下されるのがオチなのですけどね。
私は某省の出先機関で働く国家公務員でしたが、おそらくこのあたりは、都道府県、市町村でも同じような流れなのかと思います。
不支給決定した50代女性から極上の「ありがとう」
そんな長〜い「言い訳」のようにも聞こえる前置きをふまえまして、やっと本題に入ります。
私が20代の頃に、ある50代女性からの請求案件を担当した話をいたします。
その請求は、基準に合っているかどうかの判断が大変難しい案件で、何度もその女性から話を聴き取ったり、関係機関から根拠のある書類を取り寄せたりと、決定までかなりの時間をかけてしまいました。
そして出た結果は、支払いができない「不支給」というもの。
その女性にとっては、時間も手間もかけたのに、最悪の結果となってしまったのです。
その結果をたずさえて、私は重い足を引きずりながら、女性の元へ説明に行きました。
文句一つ言われてもおかしくない状況ではありますが、その女性は、落ち着いて最後まで私の話を聞いた後に、穏やかにこう言いました。
やるだけやったから、後悔はしていない
不支給なのに、こんなふうに物事を捉えられると言うのか、気持ちを切り替えられると言うのかに、まずびっくりしました。
だって、こういう状況になった際に私がみてきたものといえば、ご立腹されるか、黙って怒りを堪えているかなのですから。
さらに、私はこの後、信じられない言葉を耳にしたのです。
ここまでやってくれて、ありがとう
・・・え?「不支給」ですよ???
こんなに時間と手間をかけさせて、「はい、あなたには支払えません!」とバッサリ切り捨てるんですよ。
めでたく支給が決まった人からの「ありがとう」ももちろん嬉しいですが(それでも滅多に言われませんし、そもそも期待もしていませんが)、不支給の人からのそんな言葉は、生まれて初めてでした。
素直にうれしかったし、すごい人だなぁ・・・と心動かされました。
前述したとおり、行政機関が決定したものに不服があれば、決められた期間内に「審査請求」ができるのですが、それもその女性はしませんでした。
審査請求をしない人がいい人、と言っているわけではありません。
「等しく与えられている権利ですから、したければどんどんしてください。こちらも、その仕事を粛々とやるだけですから。」
そんなスタンスで、私は仕事に臨んでいましたので。
ただ、「やるだけやったから後悔しない」というその言葉に嘘偽りのない潔さを感じたので、多分この女性は審査請求はしないんだろうなとは思ったのです。
その女性の一言が公務員を続ける原動力に
これまで精一杯生きてきたのに、辛い思いを経験した。
そして、それに対して行政機関に請求をしてみたけれども、それも認められなかった。
自分がやってきたことはいったい何だったのか・・・
私がその立場であれば、自分を否定された気分になり、「なんでだーっ!」と文句の一つも言いたくなります。
でも、その女性は違いました。
いや、本当は悔しさ、悲しさ、胸くそ悪さが、もしかしたらあったのかもしれません。
目の前にいる20歳以上も歳が離れている若い娘を前に、プライドもあったのかもしれません。
私に気遣って、そのような態度をしたのかもしれません。
それにしても、何度もしつこいようですが、もし私があの女性の立場であれば、「やるだけやったから後悔していない」「やってくれてありがとう」なんて言葉をとっさに口にできるかな?と疑問に思うのです。
「人生とはこういうもんなんだよ」と教えて下さる人生の諸先輩方がこれまで数多く存在してきましたが、正直、私の心に一番に刺さったのはこの女性のこの短い言動・ふるまいといっても過言ではありません。
公務の仕事は、私にとってはキツイなと思うことが多かったです。
それは、公務員として必要な高い事務処理能力やコミュニケーション能力などが、私には備わっていなかったからです。
それでも、そんな私がこういったある意味ラッキーともいえる出逢いにより、今もこうして心身ともに元気に生きていられるのです。
それは、あの「ありがとう」で救われたからにほかなりません。
そして、もう少しこの仕事をがんばってみようという「公務員を続ける原動力」にもなったのです。
言葉は薬にも刃にもなると言われますが、私は極上の良薬を頂いたのですね。
また、これを機に、あらためて発信者の端くれとして言葉の扱い方(表面上だけでなく)には心したいと思いました。
同じ経験をしている職員が他にもいた!
この女性が、自分が請求したものに「不支給」とハンコを押されても、「やってくれてありがとう」という言葉が出てきた。
これは、間違っても私の対応が良かったというわけではなく、あくまでもその女性の人となり、人徳であることをここで申し添えます。
そんなことがあってから十数年後、数少ない職場の親しい人たちと4人ほどで飲みに行った際に、「これまで仕事をしていて一番うれしかったことは?」などという超真面目くさい話になりました(笑)。
私がくだんの話をしようとしたところ、なんと!私とまったく同じ体験をして同じように感動していた人が、私の他にもう1人いたのです!!
ここにもいたのか!とうれしくなりましたね。
そう、私たちは、あくまで仕事として当たり前のことをやっていただけです。(失敗すれば無茶苦茶言われますけどね)
だから、「ありがとう」なんてハナから期待していません、本当に。
でも、血の通っていないといわれる公務員でもやっぱり人間ですから、自分に与えられた仕事には大なり小なり心を砕きますし、その結果思いもよらずお礼を言われるのは、うれしいことこのうえないのです。
そして、「よし、もう少しがんばってみっか!」なんて元気になれるし、「今度はさらにいい仕事していこう!」とか「この仕事続けていてよかった!」なんて思えるのです。
単純ですね(笑)。
お互いに「ありがとう」と言い合える雰囲気・環境の中で、日々を過ごしていけるといいですよね。
おわりに
ただの公務員時代の思い出話を語っただけの「だから何だ?」という内容であることは、重々承知しています。
でも、今回ご紹介した素敵な50代女性と関わったことで公務員を続ける力となった・・・なんていうことをブログに挙げずして人生を終われない!と思い、今回記事にしました。(なんだかおおげさですけどね~)
この記事を書きながら、気づいたことをまとめてみます。
- たとえ100回苦言や文句を言われても、そのうち1回でも「極上の魔法の言葉=ありがとう」と言われれば、それだけで幸せを感じられる。
- そしてそれは、20年以上経った今でも、私の心に潤いを残してくれている。
- あの女性のあの言葉は、辛い中でも懸命に生きてきたからこそ出てきた含蓄あるもの。
- 私も、今この時を大切にして生きていくことで、あの女性のような極上の言葉を紡ぎだしていきたい。
それにしても、公務員を記事にすると、どうにもこうにも漢字の使用頻度が多くなったり、おカタイ表現になってしまうのは困ったものです・・・(汗)。
「簡潔・明瞭・抜かりなく・・・」は今も苦手な私です。
あ、あと、なんでもかんでも「エビデンス」という言葉を使うことにも、実は抵抗がありました(笑)。
ありがとうございました。