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「公務員が合わなければ辞めればいい」という選択はアリ!でも「どこへ行っても同じになっちゃう人」っているかもよという話

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こんにちは。10年以上前に公務員(国の出先機関)を退職したにも関わらず、相変わらず公務員ネタを爆投中のもりこねです。

以前、公務員時代の飲み仲間との間で、こんなやりとりがありました。

当時定年間近の男性職員

最近は、うちの職場(公務員)でも辞める人が増えてきたけど、人ぞれぞれ合う合わないがあるんだから、辞めたれけば辞めればいいんだよ。

40代女性職員

でも、そういう人って、結局はどこへ行っても同じなんじゃないかな。

これらの意見に、元公務員である私は同感しました。

特に元同僚の「辞めてもどこへ行っても同じ」という言葉は、耳の痛いことではありつつも、妙に納得がいったのです。

ということで、公務員を辞めたければ辞めればいいと思うはなぜか、どこへ行っても同じってどんな人のことをいうのかを、私なりにまとめてみることにしました。

この記事の結論
  • 公務員が合わなくて辞めたいんだったら辞めるという選択は十分にアリ
  • ただし、「他責&自虐&被害者意識」を手放していない人は、同じことの繰り返しになるかも

これから、自戒の念を込めて、それらを詳しく語っていきます。(毒舌注意です!)

公務員を辞めたいとお悩みの方に少しでも参考になれば幸いですが、あくまでも持論ですので、「なんか違う」と思えば、そっと離れていただいた方が身のためかもしれませんよ〜。

読みたい箇所からどうぞ

「公務員を辞めたければ辞めればいい」はアリ!な理由

まずは、元上司の言葉である「公務員を辞めたければ辞めればいい」については、私個人の見解では、その選択は十分にアリだと思っています。

なぜそう思うのかを、公務員中途退職者の経験を踏まえて、熱く!語らせていただきます。

人には合う合わない・向き不向きがあって当然

今さらながらドヤ顔でいうような話ではないですが、この地球上にはまったくもって同じ人間などは一人として存在せず、各々に個性があって然りです。

なので、公務員になって実際に仕事をしてみたけれど、「なんだか合わないな」とか「自分にはこの仕事は向かないな」と感じる人がいても、なんら不思議ではありません。

これは、先に挙げた元上司の考えと一致しています。

仕事なんてやってみないとわからないし、組織に入ってみて「こんなはずじゃなかった!」なんて驚くことなど珍しくもなんともないことなのですから。

なので、私はこんなふうに考えるのです。

公務員が合わないとか向かないと感じるのであれば、辞めるという選択肢もアリ

ただし、これについては二つほど気になることがあるので、先の話と矛盾することにはなりますが申し添えます。

一つ目は、仕事が合う合わないとか向く向かないなんていうのは、ある程度継続していかないと、ほんとのところはわからないかもしれないということ。

合う合わない、向く向かないという判断はいったい何を基準(比較)にしているのかを、冷静に俯瞰してみる必要があるかもです。

もう一つは、そもそも公務員になる際に、しっかり自己分析をしたり、公務員の実態を調べたのかということです。

公務員のネガティブな側面には目もくれず、ポジティブな面だけを見て、もしかしたら「公務員なんてちょろいもんだ」と甘くみていたということはなかったのかな?と疑問に思うことがあるのです。(実際そういう職員に遭遇したことがあるので)

様々な事情や事例があるので、そんなに簡単な話ではないことは承知のうえですし、「何者にもなってないくせに、先輩風吹かせて偉そうなこと言うな!」というご批判も聞こえてきそうです。

たしかにそれは否めませんが、それでもこれら二つを挙げたのは、公務員になる前の自分や公務員時代の自分に言いたいことだからなのです。

自分の人生なんだからお好きなように

「自分の人生なので、自分の好きなように生きていいんじゃないですか」というのが、私の考えです。

でも、それがなかなかできないのが、これまでの世情でした。

その理由として私が考えたのでは、こんなことです。

「大衆」から受け入れられている生き方こそが「正しい(とされる)」のであって、その「正しい(とされる)レール」から少しでも逸れてしまうことに怖れを抱かせるような仕組みになっている。

また、その「正しい(とされる)レール」から逸れる人に対して、批判をしたり馬鹿にしたり、ひどい時には誹謗中傷することが日常茶飯事なこの世の中。

ゆえに、安心安全の公務員を辞めるなんてとんでもなく大冒険な選択だと思っていらっしゃる方も少なくありません。

そう考える方が、まともで健全な精神なのでしょう。

公務員を辞める前の私も、一応、その類に漏れずでした。

でも、その「正しい(とされる)レール」から外れてしまった今の私は、こんなふうに思うまでに変わってしまったのです。

たかが公務員を辞めるだけでしょ?それの一体どこが大冒険なの?
死ぬか生きるかのガチで冒険している人に対して失礼だわ〜

・・・いや、人の気持ちも考えず、ちょっと言い過ぎてしまいました。ごめんなさいです。

でも、「そんなに深刻にならなくても大丈夫」ということを、言いたかったのです。

そして、人の数だけ考えや価値観があるわけで、私の意見は(マイノリティでしょうが)その一つであるということを伝えたかっただけです。

そして、こんなマイノリティな意見も、以前と比べれば多少なりとも受け入れられるようになってきている感があるのです。

ということで、話がとっちらかったのでここで軽くまとめます。

自分の望む生き方が、公務員では実現できないのであれば、辞めてもいいんじゃないのか

これが、私の考えです。(あくまで私の考えです)

自分の決めた選択や行動に自分で責任が持てるのであれば、自分の好きに生きていい。

繰り返しますが、自分の人生なのですから、公務員として働き続けるもよし、それ以外の世界で生きて行くもよし、好きに生きていい時代に、今はすでになっているのです。

公務員を辞めても生きていけるから

公務員を辞めることでの一番の不安は、「安定した収入を確保できるのか」なのではないでしょうか。

ゆえに、そう簡単に辞められないし、転職することへも慎重になります。

それも、生存本能としては至極当然のことでしょう。

ただ、確実に言えることは、公務員を辞めたとしても、その後の再就職に失敗したとしても、無職になって定期的な収入が途絶えたとしても、「生きていける」ということです。

現に、それらを経験した私は、今でも心身ともにわりと健康に生きてます。(いや、ちょっと更年期が入っているかもですが)

といいますか、何度もしつこいほど言ってますが、公務員時代よりも面白おかしく生きている実感がありますから。

あと、周りで実際に中途退職した公務員経験者を見てみてください。ちゃんと生きてますでしょう。

はい、しつこいですが、今回どうしてもお伝えしたかったことを、この一言でまとめます。

たとえ公務員を辞めたとしても、本人に生きる気力さえあれば、生きていけるから大丈夫!

「いや、そんなレベルを求めているんじゃないし、自分はそんなレベルで終わる人間じゃないんだ!もっと上にいけるんだ!」という声も聞こえてきそうですが、そうであれば、それに見合う情報を提供しているサイトへ行かれることをお勧めしますよ。

「公務員を辞めたとてどこへ行っても同じ人」ってどんな?

元同僚が言い放った「公務員を辞めたとしても、結局どこへ行っても同じ」とは、どんな人のことを指しているのか、自身の体験を振り返りつつ、3つほどにまとめてみました。

あわせて、それを解消する方法も挙げていきますよ。

こちらも、あくまでも個人的見解ですので、ご理解のほど。そして、毒舌にもご注意のほど。

他責傾向の強い人

他責傾向の強い人の口癖や思い癖は、「私は悪くない」です。

何か問題が起こった時に、その原因を自分以外の外側に求めるのです。

ミスして叱られたけど、それって自分が悪いの?異動したばかりで何も教えてもらっていないのに?

私はきちんと確認しているのに、なんで私のせいになるの?

あんな使えない上司の元では、自分の力を発揮できない!

たしかに、誰がみてもヘビーな状況というのは、あるのかもしれません。

でも、「あの人が悪い」「この仕事はキツい」「このやり方や環境はおかしい」と愚痴や文句ばかり言っている人の顔をじっくり観察してみてください。けっこうエグいですよ。

もちろん、自分もそういう時がありますので、エグい顔してるんだろうなと自覚はしています、一応。

愚痴や文句を言うことは精神衛生上必要な時はありますが、そればかりの人とは一緒に働きたくありません。

そういえば、過去の私は常時エグい顔だったのでしょう、周りからだんだんと人が離れていった経験があります。

どうやらこの世界は、他人や環境が自分の思いどおりに変わってくれるほど、自分に都合よくできているわけではないようです。

そのような状態で、たとえ転職したとしても、また同じような問題に直面し、また同じように「仕事辞めたい」ループにハマっていくのです。

そう、いつも「同じようなレベルの悩みを繰り返していく」ということです。

これを根本から解消する方法の一つとして、こんなことが挙げられると思っています。

解消法(一例)
  • 自分が思っていることを、とことん吐き出す(感情の吐露)
  • そこから浮き彫りになった自分の感情ととことん向き合う(自分掘り下げ)

吐き出しは、かなり信頼できて寛大な人物に話を聞いてもらうことも手ではありますが、できれば一人でやった方が、気兼ねなくとことん吐き出し切れていいんじゃないかと、私個人としては思います。

自分と向き合う作業では、たとえば仕事でミスをしたのであれば、「なぜそうなったのか」と冷静に自分を振り返り、自分の行動を客観視していくのです。

反省とか改善とかではなく、あくまで事実を俯瞰してみる感じです。

そして、自分はその時どんな思いで仕事をしていたのか、ミスした時にどう思ったのか等を掘り下げていくのです。

そうやって、感情が動かされること(特にネガティブな感情)が起きる毎に、吐き出しと自分掘り下げを行うことで、そのうち気づきが生まれます。そこから状況が好転してしまうというということを、私も経験しています。

他責にもプラスな面がありますし、自責が過ぎてもメンタルにはよろしくありませんので、バランスよく使っていくのがいいかもしれませんけどね。

自虐が過ぎる人

自虐が過ぎる人の口癖や思い癖は、「どうせ私なんか」です。

ここでいう自虐とは、自ら動こうとしないくせに、周りからの評価を求める人だと私は思っています。

謙遜などではなく、ただのかまってちゃんですな。自分ではそのつもりはなくとも。

実は私、今はいくらかマシにはなったと思うのですが、かなりの自虐人間であることを自覚しています。

お笑い芸人がよく使う「自虐ネタ」は微笑ましくて個人的に好みではありますし、人間関係の潤滑油として使う場合はまた別の話です。

問題はそうではない場合、自虐というのは自分も周りも疲弊させてしまうけっこう危ういものだと私は思っています。

私が過去によく使っていた言葉は、「どうせ私は仕事ができないし」「どうせ私は話が下手だし」「どうせ私は美人でも可愛くもないし」でした。(まだ他にもあったはず)

あー、書いていて、気分が落ちてきます。。。

「そんなことないよ〜、あなた、ちゃんと仕事できてるわよ〜」なんて言ってほしいと思っていたのでしょうね、自分ではそんなつもりはなくとも。

でも、それでたとえ一時はそうやって慰められたとしても、そのうち周りは本当にそんな人なんだと思うようになります。

そして、それこそ本当に仕事ができない人、話の下手な人、不細工な人になってしまうというイメージが作られてしまうのです。

もしかしたら、最初はそこまでひどくはなかったのかもしれないのにです。これはけっこうな悲劇ですよ。

自虐が過ぎてしまう要因として、他人との比較からくる自信のなさなのだと思うのですが、比較ってキリがありませんからね。

比較もうまく使っていけばよきに働くこともありますが、いくら環境を変えたとしても、結局また同じような悩みが起きてくるという無限ループにハマる可能性があるといえます。

これを解消する方法として、たとえば仕事ができないと思うのであれば、これはもう今与えられた仕事をやり切ってみることではないでしょうか。

「昭和の精神論かっ!」と言われそうですが、だって、自分で選んだ仕事でしょ?仕事なんですから昭和も令和も関係なく当然です。(あくまで私の考えです)

じゃあ、どうすればいいんだよ?ということですが、一例としてこんなのはどうでしょう。

解消法(一例)
  • 今ある環境の中で、どうすればできるようになるかを考え、試行錯誤を繰り返す、トライアンドエラーの精神(やっぱり精神論かっ?)
  • 「なぜ自分は仕事ができないと思うのか」「本当に仕事ができていないのか」「その中でもできている仕事は何なのか」などを自分に問いかけ、そこから自分を冷静に分析していく

これら↑をしていたら、他人と比較している暇などありません。

見たくもない自分、無かったことにしたい自分を見るわけですので、最初はメンタル的にもきっついです。

でも、そうやって、カッコ悪くて蓋をしたい自分にがっつり向き合い自分を掘り下げ、分析していくこと、そして実践を繰り返していくことで、ある日手応えを感じる瞬間が出てきたりするのです。

自分に逃げずに向き合っている人の姿は、周りからはとても魅力的に映りますしね。

それを経たうえで、今のこの仕事は自分には合っていない、あっちの道の方が自分にはしっくりくるというものと出逢えたのであれば、その時が本当の辞め時なのかもしれません。

被害者意識が抜けきれない人

被害者意識の人の口癖や思い癖は「あの人(環境)のせいでこうなった、なんで私ばっかり、私は可哀想」です。

そうはいっても現実には、パワハラ上司や仕事しない先輩、嫌味を言う同僚、生意気な部下や後輩などなどが存在しています。

なんで自分ばかりにこんなに仕事が回ってくるんだろう

あの人にさんざん嫌味を言われる自分って可哀想

もっと過酷な環境下に置かれている人も、中にはいるのかもしれません。

でも、ちょっと偉そうに厳しいことを申し上げますが、ついついこのように思う人は、被害者意識が抜けきれていない人であり、やはり「原因を外側に向けている人」だと思います。

先に挙げた他責と同様、自分には非がないと思っている人、原因は他人や環境にあると思っている人ですが、本当に自分には一切原因がないといえるのでしょうか。

「原因を外側ばかりに向けている自分」に、原因があるとは思えないのでしょうか。

自分では気づいていないだけで、こういった被害者意識が癖になっている人は、意外に少なくないんじゃないかと思います。(自分ももれなくそうですし)

ただ、この被害者意識が抜けない限り、どこへ行っても同じことが繰り返される可能性があるということです。

はい。これも私はがっつり経験済みです(苦笑)。

この解消方法は、ここまできたらもうおわかりかと思いますが、吐き出し→自分と向き合い自分を掘り下げることです。

このような事態の時には、往々にして「なぜあの人はあんなことをするのか」「あの人が私に嫌味を言うのはどうしてなのか」と相手(外側)に原因を求めます。

※たとえば「なぜこの決裁が通らないのか」「なぜ自分に仕事を回すのか」等の実務的なことは、一旦はその当事者に確認した方がよろしいかとは思いますが。

でも、ある時、ある人から教えていただいたことを実践したことで、私の人間関係にも変化が訪れたのです。それは・・・

「自分はなぜそう思うのか」と自分の感情に問うていくこと

例に挙げると、自分に嫌味を言う人がいたとした場合、自分への問いかけは、これまでの私であれば、「なぜ、あの人は私にそんな嫌味を言うのか?」でした。

でも、そうではなく、「なぜ私はあの人に言われるのが嫌なのか?」「何を言われるのが嫌なのか?」「あの人に言われるから嫌なのか?他の人ならいいのか?」などという問いかけで、どんどん自分の内面を深掘りをしていったのです。

すると、どんなことが起きたのか。

これは、その人の言っていること(嫌味)がまったく気にならなくなったのです。それも、わずか2ヶ月足らずで。

そして、最終的には、お互い対等な立場で、良好な人間関係を築けたという経験をしています。

なぜそうなったのかという理由ですが、おそらくは、自分の感情と向き合いそれを掘り下げていくことで、起こったことに対して冷静になれるからではないかと分析しています。

これについての詳細は、また後日、記事にしていきたいと思っています。

私の経験など小さいことではありますが、こういった小さいことからコツコツ成功体験を重ねていくことで、周りの環境がガラリと変わることだってあり得るということです。

これまで蓋をしていた自分の感情と向き合い、自分を掘り下げていった先に、自分が本当にしたいことや望む人生に気づくことができるんじゃないかと、私は思っています。

まとめ

「公務員が合わないと思えば辞めてもいいけど、結局は同じになっちゃう人もいるかもね」という話でした。

ここで、今回の内容をまとめます。

本日のまとめ
  • 公務員が合わなければ辞めてもいい。人それぞれだし、自分の人生だし、公務員を辞めても生きていけるから。
  • 辞めても同じになっちゃう人とは、他責、自虐、被害者意識が抜けきれない人。原因が自分の外側にあると思っている。その解消方法の一つは、自分と向き合い自分を掘り下げること。

とはいっても、同じことを繰り返して多少痛い目に遭うことで、否応なしに気づかされることもあるんですけどね、私のように(苦笑)。

そんな私のようになる人が少してもいなくなればいいなという思いで、余計なお世話なのでしょうが、今回はこんな記事を書いてしまいました。

といいますか、ここに書いたことを一番伝えたい人って、何を隠そう自分自身なんですけどね。

はい、おしまい。

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この記事を書いた人

40代で公務員を退職。紆余曲折の末、現在はキャリアカウンセラーとして、なんだかんだと生きてます(笑)。

骨の髄まで雑記ブログの当サイト。キャリア関連をはじめ、現在50代である私のくだらない小言や、行ってみたやってみた系の体験談、長年の趣味であるバイクなどを記事にしています。

そんな一介の自己満足ブログでも、いつかどこかで誰かのお役に立つことができたならば、我が人生に悔いなしです。(たぶん)

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