「無職」という言葉を聞いて、どんな気持ちになりますか。
我が国では、いまだに「無職」に対して抵抗を感じたり、否定的な気持ちになる人が少なくないのではないでしょうか。
私も、経済的に厳しい家庭環境で、「働かざる者食うべからず」という言葉を耳にしながら育ってきたので、「無職は良くない」という思い込みがあり、無職になることが怖くて仕方がありませんでした。
でも、実際に無職を経験したことで、捉え方がこんなふうにまるっと変わってしまったのす。
無職の何が悪いんじゃ?
「ちょっと何言っちゃってんの?」というご批判を受けそうなのですが、私は無職は世間でいわれるほど悪いものではなく、むしろその経験により、こんなことを得られたと思っています。
自分の本心に気づき、自分らしい生き方に進むきっかけとなった
今回は、そんな私のしがない経験でも、無職を恐れている人や無職で悩んでいる人に、ほんの少しでも安心や元気をお届けできたらという思いでまとめていきます。
ただ、べつに無職をお勧めしているわけではありませんので、誤解なきよう。
- 20年以上の公務員生活に、40代で終止符を打った、世間的にはちょっと変わり者
- 公務員を退職してから現在までの約10年間で、二度の長期無職生活を経験
- オットと二人暮らしの自活主婦(生活費等は無職時代であっても夫婦で完全折半)
- 現在は、大好きな物書き(ブログ等)をしながら、キャリアカウンセラーの仕事で生きている
あくまでも、私個人の主観ですし、正直他人の人生には責任持てませんので、「こんな考え方や生き方をする変わった人もいるんだなぁ〜」くらいの留めておくことをお勧めしますよ。
【経験談】二度の無職生活で得られたこと
まずは、自分の体験談から、無職生活により得られたことを挙げていきます。
ただ、これはあくまで私の場合なので、全員に当てはまるわけではないことをご了承くださいませ。
なにものにも縛られない心身の休息
無職といわれて一番にイメージするのは、おそらく心身の休息ではないでしょうか。
どこにも所属せずなににも縛られずに、心と身体をゆっくり休ませることができる・・・これが無職の醍醐味だと私も感じています。
「心身の休息なんて働きながらでもできるじゃない、休日だってあるんだし」という声が聞こえてきそうですが、実際フルタイムで勤務している時は、休暇中であってもゆっくり休めた気がしませんでした。
ついつい、仕事のことを考えてしまい、ひどい時には職場のイライラやモヤモヤを休日にまで引きずってしまう始末。
心穏やかに暮らすことなど、その当時の私には難しいことでした。
でも、無職になったことをきっかけに、これまで頑張ってきた自分を思う存分いたわることができたのです。
そして、それが自分らしい生き方に進む源となりました。
身体と心は、けっして侮ってはいけないもの。
心身さえ健やかであれば、たとえその時は無職でアテになる収入がなかったとしても、なんとか生きていけるのですよ、本当に。
自分を内観することでキャリアの方向性が定まった
初めて無職になった時に、私は自分の心を内観する時間を持つことができました。
そして、それにより、自分は何をしたいのか、どう生きていけばいいのかというキャリアの方向性が定まったように思っています。
ただ、意識して内観の時間を持ったというわけではありません。
公務員を退職した後は休む間もなく転職をしたのですが、さまざまな事情から早期離職するに至ったことから、必然的にそうせざるを得ない状況になってしまったのです。
それからというもの、毎日のようにこんなことを思う日々が続きました。
「なんのために、思い切って公務員を辞めたんだろう」
「これからどうやって生きていけばいいんだろう」
「そもそも私は一体なにがしたかったんだろう」
「こんな私にできることなんてあるのかな?」
「私はバカか?バカなのか?」
焦り、不安、後悔、自己嫌悪、自己否定・・・さまざまな負の感情が溢れ出し、ずいぶん苦しい思いをしたのです。
公務員時代に見て見ぬふり、感じていないふりをして蓋をしてきた感情に、意を決してがっつり向き合うことにしました。
そうして、自分の本心を感じ切り、自分の本音を吐き出したことで、少しずつでも自分を知ることができたように感じています。
今の就活生のような自己分析とか自己理解なんていうことをやったことがありませんでしたから、これはなかなかに貴重な時間であり、フルタイム勤務では本腰入れてできなかったことでしょう。
無職に否定的だった私が、無職になったことをきっかけに自分を内観し、自己分析をした結果、キャリアカウンセラーへの道を志す結果となったのです。
これにより、1年半の無職生活に、ひとまず終止符を打ちました。
やりたいことを突き詰める
無職経験で得たことの最後は、やりたいことを突き詰める、好きなことに没頭する時間をもらえたことでした。
私は二度、長期間の無職を経験しています。
一度目は、無職に対して世間体の悪さや負い目的なもの、経済面から、まだまだ不安や恐れが自分の心に常駐しておりました。
しかし、二度目の無職の際には、そんな生活の不安や恐れがまったくないとは言い切れないものの、自分を信じて、自分の心に素直に従い、やりたいことに没入してみたのです。
そのやりたいこととは、私の場合はブログ運営でした。
もともとアロマテラピーの集客を目的としてライブドアでブログをやっていたのですが、フルタイム勤務中はなかなか書く時間が取れなかったのです。
無職になったことを機に、ブログを書く頻度が増えたことで、ブログを書くことそのものが面白くなっていきました。
そして2021年1月に、本格的にブログを書きたいという思いから、ワードプレスでブログ運営をするという決断をしたのです。
1年間、一人部屋にこもって(まさにひきこもり)、夜遅くまであーでもないこーでもないと黙々とパソコンのキーボードを打つ私の姿を見たオットから、けっこう真面目に心配されたこともありました。
それでも、ブログでの収益化を実現することができ、さらには、キャリアカウンセリングの経験と資格を活かして、ブログ経由でオンライン相談を開設することもできたのです。
今は、大好きなブログ運営とともに、キャリア相談にいらしてくださる方から多くの学びや気づきをいただき、けっこう充実した日々を過ごしているな〜なんてことを思ってみたりもしています。
何者でもない無職人間が、まっさらな状態からとことんやりたいことを突き詰められたことで、以前よりも自分らしく生きていると実感しているのです。
巷でいわれる「無職のイメージ」とそれに対する個人的見解
さてここで、巷でいわれる無職のイメージを、さくっとあげてみます。
無職というと、一般的にはよい印象を持たれていないことは、いくら天邪鬼な私でも理解しているつもりです。
が、ここはあえて、「本当にそうなのか?」という疑問からの個人的見解をまとめてみました。
あくまで、参考程度ということで。
「無職は何も生み出さない」は本当か?
無職は、何も生み出さない、生産性がないといわれます。
が、本当にそうでしょうか?という疑問を、私は投げかけたいです。
で、いきなりですが、ここで一つ質問させてください。
企業で雇われて働いている人が大半を占めている我が国ですが、その人たちは全員が全員、何かを生み出しているのでしょうか?
自分では何も考えず、会社や上司から指示されたことだけをただやっている人(それすらもやっていない人)は、「私は、生産性がありますっ!」と自信を持って声を大にして言えるのでしょうか??
どこかの会社に勤務していなくとも、たとえば、お家の冷蔵庫の中に入っている材料で、ちゃちゃっと美味しい料理を作ることの方が、よほどクリエイティビティだと私は思うのですが、いかがですか。
たとえ収入がなかったとしても、他人の悩みや相談事を親身に聴いている人に、何も生み出さないなんていえますか。
家庭菜園などをやっている方などは、まさに食べ物を作り出しています。
私事で恐縮ですが、私は無職時代からブログ運営をしておりまして、他人様のお役に立てているか否かは別にして、1記事上げるのに産みの苦しみを味わっています。
内容の良し悪しは別にして、自分の経験や考えをフル稼働させながら、「創り上げている」という感覚をもって記事を書いています。
それは、フルタイムでどこかに勤務していた頃と比較して、はるかに何かを生み出していると感じているのですが、そんなふうに感じる私は、やはり変わり者なのかもしれないですかね(苦笑)。
「働かずにプラプラするのは世間体が悪い」は本当か?
そもそも、働くとはどういうことなのでしょうか。
働くというと、「外に出て」「組織に所属して」「平日の朝から夕方まで」という従来型のイメージがあるのでしょうか。
今や、働き方や生き方が多種多様となっています。
働いていないようにみえて、リモートワークや在宅ワークをしていたり、ある時期がっつり働いて長期間バカンスを楽しんでいる人もいるのかもしれません。
言わずもがな、いわゆる主婦(夫)としての家事や育児だって、バリバリの働き手です。
介護や福祉のボランティアさんには助けられることも多いですし、援農といわれる農家さんをお手伝いする方々に対して、「あなたプラプラしないで働いて!」なんて言えますか。
逆に、たんまり給与をもらっているのに、従来どおりのいわれたことしかしない(それすらもしない)会社員や公務員の方が、よほど「プラプラせんと働けや」と私は言いたかったです。
そして、世間体が悪いという言葉もよく耳にしますが、ここでも質問です。
自分の人生は、誰が決めるのでしょうか。というか、誰が責任をとるのでしょうか。
世間(他人)ですか?それとも自分ですか?
もちろん、社会の中で生きている私たちは、仙人でも世捨て人でもなければ、それを全て無視して生活することは難しいのかもしれません。
それでも、時代が大きく変わる昨今、自分がある程度やりたいように生きられる土壌はすでに作られていますので、自分の好きに生きる方が間違いなく面白いし生きやすくなってくるのではないかと、私は思っています。
「無職だと生活できなくなる」は本当か?
無職になっての一番の不安は、現金収入が途絶えることによる生存の危機を感じるからでしょう。
たしかに、今のこの日本で暮らしていくには、現金は必要です。
お金がないと生きていけないと言われている(思わされている)のは、今のこの世界のしくみによるものだと私は思っています。
そうでなくとも、収入の半分が税金ですからね。
国や自治体を運営するために必要な税金であれば喜んでお支払いしますが、その使い道ははたしてどうなのでしょうか、疑うことばかりです。
そして、そんな税金がなければ、実はそれほどお金って必要ないんじゃないかと思うのです。
ただ、それを今ここでぐだぐだいってもすぐに変わるものではないので、やはりしばらくは現金収入は必要です。
であれば、今のこの時を生きていくうえで、自分にとって何が大切であるのか、何に価値を置くのかを、今一度考えるきっかけにしてもいいのかと思うのです。
ここでも、「世間のステイタス」だけで見るのではなく、「自分にとってどうなのか」も観点の一つとするのです。
ここでも、自分はどんなふうに生きていきたいのかという自己分析、自己理解に繋がってくるんじゃないかと思います。
ということであらためて、自分にとって生きていくのに何が必要なのでしょうか。
これまでステイタスとされてきた生活レベルを目指したり保持することって、自分にとって本当に必要なのでしょうか。
そして、本当に無職だと生活できないのでしょうか。
そんなふうに自分の頭で考えたり感じたりすることで、どこかに雇われて収入を得ること以外にも、生きていく術は意外と多く存在していることに気付けたりするのかなと思います。
「長期離職は転職に不利」は本当か?
長い期間無職でいると、次に転職する際に不利になるというのは、転職市場では正論です。
ただ、考えが甘いとお叱りを受けそうですが、無職期間に何をやっていたのかを相手が納得するような説明ができれば、そこまで心配しなくてもいいのではないかと私は思うのです。
もちろん、業界や職種、会社の規模、転職者の年齢や職歴、希望する勤務形態によっても違いはあるので、一概にはいえません。
でも、自己分析や業界・企業研究もろくすっぽせずに、焦りばかりが先走って急いで転職してしまうと、ミスマッチが起きかねません。(経験者です)
これも縁やタイミングなのでやはり一概にはいえませんが、私の場合は、1年半の無職期間があったものの、非正規ではありますが、念願の就職支援の仕事に就くことができました。
無職自体がマイナスなわけではなく、無職期間をどう捉え、どう過ごしていくのか、これがポイントなんじゃないかというのが、私の持論です。
もしかしたら、無職時代に力を入れて取り組んでいたことが、企業や社会で活かせる能力になっているのかもしれません。
それこそ、無職がキャリアにもなり得る可能性もあるのです。
ということで、結局は、自分を内観し自分を知っていくこと(自己分析、自己理解)に帰結するということになるのかなと。
無職生活の有意義な過ごし方
ではここで、無職生活をいかに有意義に有効に過ごしていくのかを、こうすればよかったという自身の反省の意を込めて、まとめてみます。
世間のものさしに惑わされない
先ほど挙げたことと似通ってはいますが、一般的にいわれる「世間のものさし」というものに、なるべく惑わされずに過ごすことです。
人の生き方、考え方、価値観は、100人いれば100通りであり、正しいも間違いもないと思っています。
だから面白いし、そういったお一人お一人の生き様を聞かせてほしいという思いから、キャリアカウンセラーという仕事を続けているといっても過言ではありません。
他人や世間のいうことはすべて否定しろとまではいいませんが、それにどっぷり引きずられることなく、自分なりに精査をした結果、必要だと思えば取り入れるくらいがちょうどいいのかと思っています。
人間いつ身体を脱いであっちの世界に行くのかはわかりませんからね、後悔しないためにも、自分の人生ですから、自分らしくデザインしていきたいものです。
生活すべてをクリエイティブに捉えてみる
これも、先に挙げたことと重複しますが、たとえ現金収入を得るような仕事をしていなかったとしても、家事や育児、趣味、ボランティアなどの生活全般がクリエイティビティに満ちていると捉えてみることをお勧めしたいです。
家事ひとつとっても、大切にするポイントやこだわっていることなど、その人らしさが滲み出ると思うのです。
そんなことも、これからの働き方や生き方のヒントになってくると、私は思っています。
ある程度の期間を決める
無職でも生活できる経済力があるということであれば、こちらから何もいうことはありませんが、そうでない場合は、ある程度期間を定めることで、目的意識も明確になり、効率的に動けると思います。
といいますが、本当に毎日何もせずにのんべんだらりとしていると、何かしたくなってくるんですよ、不思議なほどに。
あれだけ「休みたい!休ませてくれ〜!!」と懇願していたのにも関わらずです。
まとめ:実は一番伝えたいこと
無職はそんなに悪いものじゃないという話を、自身の経験をもとに持論満載でお届けしました。
最後に、今回の内容で、実は一番伝えたかったこと、3行でまとめてみます。
- 無職は自分らしい生き方に進む絶好のチャンス
- 無職になっても死にやしない
- 無職はキャリアにもなり得る
ちょっとぶっ飛んだこと言っちゃってるかもしれませんが、一見ネガティブに思える無職だって、捉え方次第でいかようにもなるのです。
そう、無職はそんなに悪いヤツでもないのですよ。
ありがとうございました。