こんにちは。もりこねです。
現在は、ブログやSNSなどにより、ごく簡単に誰にでも情報発信ができる時代となっています。
そのへんの50代主婦である私も、このブログでひっそりと情報発信をしていることから、情報の取り扱いについて、発信者側と受け取る側の両方の目線から、独自見解をまとめてみました。
情報発信の責任は発信者だけではなく受け手にもあるのでは?
現在私はブログを使って情報発信の端くれをしておりますが、このような底辺弱小ブログといえども、一応は責任というものを頭の片隅に置きながら記事を書いているつもりです。
よく言われる「発信者の責任」というものです。
それゆえに、これまでにも「こんなことを発信してよかったのかな?」と少々悩む時がありました。
私が気にしているポイントは、公務員ネタで本音を暴露しているので、現役公務員の方々にとっては気持ちのいいものではないんじゃないかということです。
そんな時、ある女性ブロガーさんの記事で、心に刺さる言葉が目に止まりました。
「発信者の責任という人もいるけれど、受け取る側の自己責任もあるんじゃないか」
「受け取った情報を鵜呑みにしたり盲信するのではなく、精査することの必要性」
そのようなことが書かれていて、私は「そのとおり!」と膝を打つと同時に、救われたような気持ちになったのです。
「自分を正当化したいだけだろう?」という声が聞こえてきそうですが、発信者側の方であれば、その気持ちがなんとなくでもわかっていただけると思います。
ということで、今回は、情報の取り扱いとして次のことをまとめていきます。
- 発信者側として気をつけていること
- 情報を受け取る側として意識していること
この2つを、私独自の目線になりますが、つらつらと語っていきます。
発信者側として気をつけていること
影響力が決して大きくはないであろう当ブログではありますが、最低でも次の4点については気をつけて運営をしているつもりです。
「そんなの当たり前だ」と言われるような内容ばかりでしょうが、一応挙げていきます。
可能な限り正確な情報を掲載する
当然のことですが、記事を読んでくださった方に少しでも正しい情報をご提供したい(間違ったものをお伝えしたくない)との思いで、毎回記事を挙げています。
しかし、まことに遺憾ながら(この表現が公務員的な)、情報が古くなっていたり、誤った情報も含まれているかもしれませんので、もしそうであれば申し訳なく思います。
ただ、これについては、当ブログの「プライバシーポリシー」内の免責事項として、損害が生じても責任を負えない旨記載をしておりますので、ご了承くださいませ。
また、過去記事は逐次見直したりリライトをしていますので、できる限り誤りのないように努めていますが、何かあればお手数ですがご連絡いただければ幸いです。
なんだか、事務連絡のようになってしまいましたね(笑)。
あ、誤字が多いのは、ごめんなさい!
気がつき次第、すぐに訂正していきますよ。
特定の個人や団体を誹謗・中傷しない
特定の個人名や団体名を誹謗・中傷しないことについては、重々気をつけています。
SNS上では炎上事案として騒がれているものもありますが、
「ブログはSNSほどの拡散性はないし、影響力のないサイトなのであれば、それほど神経質にならなくてもいいんじゃない?」
もしかしたら、そんなふうに思っている方もいるのかもしれません。
でも、私は、相手から損害賠償を請求されたり社会的信用を失うという可能性が少しでもあるのであれば、それはできるかぎり避けたいという思いがあります。
はい、私は正真正銘のビビリです〜(汗)
正直に言ってしまうと、これまでもこのブログで、ある特定の個人や団体に対して、文句や苦情の一つもぶちまけたい!と思う時はありました。
そして、そんな情報を記事に盛り込むことで、もしかしたらどこかの誰かの参考になるのかもしれないとも思っていたほどです。
「デメリット」というのも、有益情報の一つですからね。
でも、私はビビりなので、やはりそれはできませんでした。
また、きれいごとを言いたいわけではないのですが、そんな記事を読んで、嫌な思いをしたり傷ついたりする人が少なからずいるのかもしれないと思うと、書く気持ちが失せていったのです。
とは言いつつ、特定の個人名や団体名を伏せてはいるものの、時折批判チックな記事を書いているので、もし「この表現はちょっとやばいんじゃない?」というところがあれば、ぜひ教えてくださいね。
著作権や肖像権等に抵触しない
こちらも、場合によっては損害賠償事案になってしまう可能性のあるものです。
著作権や肖像権(意匠権とかもあるのかな?)については、ブログを運営しているにも関わらずまだまだ全然勉強不足なのですが、現時点では最低限次のことに気をつけています。
- 「画像」は自分が撮影したものかフリー素材のものを使用する
- 許可なく他人が写っている画像を挙げない(もしくは個人が特定できないように画像に処理を施す)
- 書籍やウェブサイトの文章を使う場合は、引用規定に従う
- 購入した商品の「パッケージ」や本の「装丁」は、いくら自分が撮影したものであっても、その画像を挙げることは極力控える(デザインが意匠権にひっかかるかも?)
そうはいっても、抜け抜けのところは多々あるのでしょう。
過去記事は、定期的に読み返して気がついたところは直すようにはしています。
もし間違いを指摘されれば、素直に謝り早急に対処する所存でございます〜。
著しく不快な表現をしない
あまりにも不快になるような文章表現をしたり、気持ちがよろしくない画像(どんな画像だ?)を挙げることは、極力しないように気をつけてはいます。
とはいっても、どんなことで不快に思うかは、人それぞれ感じ方に違いがあるので、これは非常に難しいところではあります。
例えば、私はカエルの画像(本物ではなく模型的なもの)がかわいいと思うのでよく使用しますが、カエルが苦手な人にとっては、不快極まりないのでしょう。
でも、いろいろ考えるとキリがなくなってしまいますので、自分が違和感のないような表現をしていけばいいのかなと思っています。
なんだかんだいっても、結局は自分のブログですからね。ある程度好きに運営させてもらいたいものです。
それに、不快に思った方は離れていくのでしょうから、それでいいのかなと。
まあ、ビビりな私のことなので、暴力的なものやグロテスクなものは表現できませんけどね(笑)。
情報を受け取る側として意識していること
現在は、従来からあるTVやラジオ、新聞、雑誌のほかに、YouTubeやTwitter、ブログなど、情報を得る媒体は様々あります。
そんな情報過多の中で、私が情報を受け取る際に意識していることを挙げていきます。
情報の取り扱いは自己責任
疾病騒動の最中である今、まさに「玉石混淆」な情報がそこらじゅうに溢れ返っています。
得られた情報を有益だと判断して、例えば、その商品を購入したり、生活に取り入れたり、生き方の参考にする時などは、次のことを常に念頭に入れています。
どんな結果になっても、その情報を発信した個人や団体のせいにしないこと
程度にもよりますが、情報をどう取り扱うかは、受け手の自己責任でもあると私は考えているからです。
「無料」であれば、なおさらです。
特に、医療や食品など自分の健康に関わるものについては、「みんながやっている」や「みんながいいと言っている」という言葉に惑わされないよう、よく調べよく考えて取り入れるか否かを判断しています。
タダほど怖いものはありませんから。
それでも判断を間違えることはあるでしょうし、それにより自分に不利益が生じることがあるのでしょうが、それも覚悟のうえでございます。(武士か?)
情報を鵜呑みにせずに精査をする
上記のことと似通っていますが、知り得た情報をすべて鵜呑みにせず、自分なりに精査したうえで、その情報を信じるのか否かを決めていくようにしています。
私が精査をする時に意識していることが、次のとおりです。
- 世に出回るメディアや情報源が絶対正しい!というような盲信はしない
- どんな情報でも、疑問を持つことを忘れない(思考停止にならない)
- 疑問が生じたら、できる限り納得がいくまで調べる
- 自分の「感覚」をないがしろにしない、特に「違和感」は見過ごさずキャッチする
- 「誰が言っているのか」も大事だが「何を言っているのか」「どんな行動をしているのか」にも注視する
面倒くさがりの私ですが、特に自分や家族など大切な人の命がかかっているものであれば、時間がかかったとしても精査をして決めています。
そして、特定のメディアや情報源が絶対だと盲信することのないように、できる限り中庸を意識しているつもりです。(とはいっても、やはり偏りがあるのは否めませんが)
さらに、権威ある人や人気者が言っているモノコトが、必ずしも正しいとは言えないことも、最近とみに感じています。
こうやって精査していったとしても、間違った選択や判断は避けられないこともあるでしょう。
それでも、こういった「クセ」をつけていくことで、少しずつでも精度が高まってくるのではと信じて(!)います。
そして、間違う可能性があることを前提で、それをも引き受けるという覚悟で選択や判断をしたのであれば、きっと後悔はしないと思うのです。
同じ人でも時間の経過で方向性が変わることもあると心得る
「この人の言っていることに、共感できる」
「この人の話す内容は、とても腑に落ちる」
「この人は信頼できる」
そんな有益情報を提供してくれる発信者に対して、ある時期からその言動に違和感を持つようになったことはありませんか。
私は過去にそんな経験をしたことがあるのですが、違和感を持ってからはその情報源からはそっと離れました。
その後、そのことに対してまだモヤモヤしていた時に、ある方の言葉を聞いたことでハラ落ちしてスッキリしたのです。
人間なんだから、方向性が変わることがあって当然
この言葉により、「前に言っていたことと違うじゃないか!」「ブレブレじゃん!」とその人を批判することはお門違いであるということに気づかせてもらいました。
自分のこのブログだって、前に書いていたことと今とでは、矛盾する内容になっているのかもしれません。
なにせ、今のこの時代は、世の中の流れがハイスピードで展開してますからね。
情報発信者に敬意
私は、たとえいかなる情報であっても、その発信者には敬意を表したという思いがあるのです。
「何言ってんだ?コイツ」なんて、思われたのかもしれません。
これは、自分が発信者の端くれとなったことで、発信することがいかに大変であるかが、身に沁みてわかったからです。
当然のことながら、自分にとってしっくりくる情報には、本当に助けられました。
しかし、結果的に今の自分には必要がない情報だったとしても、「必要がないということがわかった」という気づきを得られたわけですから、それも自分にとっては有益だと捉えることができるのです。
有料情報ならともかく、無料で観られるYouTubeやTwitter、ブログなどの発信者に対して、「こんなくだらないもの挙げるな!」とか「間違った情報を出すな!」なんて文句を言うこと(思うこと)は避けたいと思っている私でございます。
おわりに
ブログで情報発信をし始めてからずっと気になっていた「発信する側の責任」や「受け取る側の自己責任」ということについて、やっと考えをまとめることができました。
自己満足にはなりますが、記事を書きながら、頭や気持ちを整えることができた気がします。
この記事についても、当然のことながら、しっかり精査をしていただいた上で取り入れるか否かを判断をしていただければ幸いですし、 こんな記事であっても、万が一でも取り入れていただけるのであれば、あくまで自己責任でお願いいたします(笑)。
ありがとうございました。