こんにちは。もりこねです。
つい10日ほど前に、ある大企業による、こんな感じのニュースが飛び込んできました。
50代以上のバブル世代をターゲット 退職金4,000万円の上乗せ支給による早期退職に着手!
この背景として、「バブル世代の50代社員は、働かないとか仕事ができない人が多く、若手人材の活躍を阻害するからではないか」とコメントしている人がいまして、それを聞いた私は思いました。
民間企業ではそんな流れだが、「公務員」はどうなんだろう?
まさに私は、同世代でいわゆるバブル入省組のノンキャリ元国家公務員です。
当時の自分を顧みながら、その真相に迫ってみたいと思います!(持論満載の自虐ネタです)
仕事ができない50代公務員の特徴
「仕事ができない」とか「仕事をやらない」なんて厄介者扱いの50代以上の公務員がいるとしたら、そこにどんな特徴があるのか、現役時代の自分を思い出しながら3つにまとめてみました。
少々言い訳がましい内容もありますが、あなたの広~い心で読んでいただけると助かります。
屈折したプライド
公務員の頃の私は、「プライドなんてない!」と思い込んでいたのですが、いやいや、かなりのプライドの塊であったことが、今となってはよ~くわかります。
そして、自分では仕事ができないと思っていない、いや、それどころか「そこそこいい感じなんじゃない?」なんて大いなる勘違いをしていたという衝撃の事実をここで明かします(苦笑)。
なぜ、プライドが高くなるのか、それは主に2つあると思っています。
- 比較的難関といわれる「公務員試験」を突破してきたこと
- 「職業は公務員です」これだけで社会的信用だとか親戚縁者からのウケがよろしいこと
それなのに、一方では、日常的にこんなマイナスな言葉も浴びせられています。
- 税金ドロボー!
- 仕事しろよ!
- 楽でいいよね〜
- 民間企業では通用しないよね
この相反する公務員へのイメージの刷り込みにより、頭も心も混乱してしまいます。
そして、プライドはプライドでも、相当に屈折した妙なプライドとなってしまったのではないかと、私は勝手に分析しています。
さらに、後から入省してくる職員が高学歴だったり、明らかに優秀であることを目の当たりにする事態が起こりますと、無自覚でプライドを保とうと必死になり、妙な行動に出ます。
注)一応断っておきますが、私は高学歴の人がすべて有能とは思っていませんよ。
- 表面上は威厳を醸し出そうとするが、それがエラそうな態度にみえる
- 他人から指摘されようものなら、素直に受け容れられないどころか、聞く耳を持たず、最悪逆ギレする
そんな環境を、少なくとも20年以上続けてごらんなさいな。
このように、相当めんどくさい人種に仕上がってしまうわけです。
思考停止状態
思考停止はお手のものです(苦笑)。
「自分の頭で考えて行動する」とか「自分ならどうする?」というところに、思考が及ばない。
- 何か問題が起きたりちょっとした有事で、すぐにフリーズする
- めんどくさいことや嫌なことは、他人に丸投げ
- 言語化が苦手のため、逆ギレすることも
思考停止になりがちなのは、子どもの頃からの「詰め込み教育」「管理教育」という背景も大きいとは思います。
そして、これはどうも公務員に限ったことではなく、我々世代の特徴ともいえるようです。
指示されたことや自分が与えられた仕事をやっていれば、それなりに評価されていた
そんな時代でした。
逆に、新しいことをやろうとすると阻まれたり、なにか疑問を発すると疎んじがられたりすることから、そのうち思考停止する方が楽であることを知ってしまったのです。
その方が、世の中を上手く渡っていけるのです。
時代のせいにするのはどうかとは思いつつ、やはり、そういう背景ではあったのはたしかです。
そして、どんなに仕事が嫌であっても、辞めることはできない。
辞めてもどこも務まらない。(・・・と思っている人が多かった)
だから、こんな思考や行動になってしまうのです。
どんなに仕事が嫌でも、頭と心を「無」にして、自分の仕事を淡々と粛々とやっていくだけ。そうやってやり過ごすことで、給与は確実に手に入るし、定年まで安泰だから。
それを、20年以上やってきているのですからね。
思考停止になるのは、ある意味当然かもしれません。
やる気がない
出世競争に縁がないと思われがちの公務員でも、だいたい40代くらいになると、「出世する方」と「そうじゃない方」とがなんとなくでもわかるようになります。
自分が「そうじゃない方」だと気づいた人の行動パターンとして、だいたい3つにわかれます。
- 特に変わらずこれまでどおり
- あきらめの境地
- 中年反抗期
一つ目以外は、仕事に対して力が入らなくなります。
そういった方は、これまで意外と(?)真面目に懸命に仕事に取り組んできた人が多く、その反動といえるのかもしれません。
燃え尽き症候群とでもいいましょうか、人間不信とでもいいましょうか、もしくはやはり中年反抗期・・・。
50代になると、出世コースかそうじゃないかは、かなり顕著になります。
多少なりとも出世を意識していた人が「そうじゃない方」になると、やる気がなくなってしまうというのは、良いか悪いかは別として、わからなくもないのです。
50代公務員が入省したころの背景
ここで、現在の50代が入省した時代背景、公務の職場の雰囲気的なものをお伝えしていきます。
50代上司に悩む若手公務員にとっては、敵(?)を知ることがなにかのヒントになるかもしれません。
そして、同世代の公務員の方は、私と一緒に当時を懐かしみましょう(笑)。
今よりも入省しやすい
私が公務員試験を受けた時は、まさにバブル好景気。
世の中が浮かれまくった相当におかしな時期だったようですが、田舎娘の私が恩恵を受けたのは、「公務員試験の倍率の低さ」くらいで、うまみ体験は一切ありませんでした(笑)。
「バブルの申し子なんて言われないようにしたいわ!」なんて、同時期に入省した職員が言っていましたが、当時の公務員事情はこんな感じです。
- 「公務員になりたい」なんて人は奇特(同期の皆さん、ごめんなさい!)
- ゆえに、公務員試験の倍率は、現在と比べて低めだった
ただ、その影響なのかどうなのか、同世代で入省した人は、なかなかおもしろい人種や経歴が多かったです。
それが、今の若手職員には、理解できない行動にうつるのかもしれませんけどね。(いや、長い年月の間に、いろいろあって変わっていった人もいるのです)
その後、バブルは崩壊し、あっという間に公務員試験の倍率が上がりましたが、それを思うと運が良かったとしか言いようがないです。(今のあの倍率で、試験に受かる気がしません!)
最後に、同世代公務員をかばうつもりはないのですが、バブル期はどんな人でも公務員になれたという説はたしかにあるものの、それは民間企業も同様です。
売り手市場で、どんな人でも大企業に入社できているようなので。
ただ、これは私の場合に限るのでしょうが、その大企業すら入社できず公務員になっているので・・・ここまでくると返す言葉もないでしょう(苦笑)。
今よりも職務に余裕があった
我々50代が公務員になった頃と今とを比べると、各段に違うのが一人当たりの業務量です。
公務員の数は減っているのに、業務量は増加しているゆえ、昔と比べると、今の公務の職場は激務となっています。
公務員が減らされる分を、非常勤で賄ったり外部委託などで代替していますが、部署によるものの、そう簡単にはいかないようです。
批判を覚悟ではっきり言います。
私が20代、30代の頃の職場には、まだ余裕が感じられました。
余裕というのは、なにも仕事量だけのことをいっているわけではありません。
上司、部下、同僚などの職員同士で、質問や相談、雑談(←コレは必要!)できる雰囲気があったのです。
今も公務員をしている40代前半の後輩の話では、10年前とは比べものにならないほど業務量が増えてるし、なによりも職場の雰囲気がギスギスして余裕がないとのこと。
相談できる雰囲気がいいとか、ギスギスして余裕がないのがダメだとか、そんなこともいうつもりはないのです。
ひとそれぞれ、合う、合わないがあるので、どれがいい、悪いなんてありません。
ただ、今の50代以上の公務員は、この余裕のある雰囲気の中で育ってきました。
なので、仕事ができない50代というのは、今のこの激変ぶりに、頭も心も身体もまだついていけてないということも、あるのではないでしょうか。
今よりもいろいろゆるい
しかし・・・「いろいろゆるい」ってタイトルをつける私こそが、まさにゆるさの象徴(苦笑)。
上記と被るところはありますが、50代公務員がまだピチピチ(死語?)の若い頃は、今ほど細かい法律や制度などがなく、比較的緩やかな雰囲気であったことは間違いないでしょう。
例えば、私が入省した時から十数年の間は、こんなもの↓はありませんでした。
- 人事院規則10−10(セクシャル・ハラスメントの防止等)に運用について(平成11年4月1日以降)
- 国家公務員倫理法・国家公務員倫理規定(平成12年4月1日全面施行)
- 行政機関個人情報保護法(平成17年4月1日施行)
- 人事院規則10−16(パワー・ハラスメントの防止法)の運用について(令和2年6月1日以降)
先の「ピチピチ」という表現も、相手が不快と思えば「セクハラ」になるんでしょうかね(笑)。
こちらも、批判を覚悟で言います。
時代の流れや世論という背景もあるでしょうし、ほかにどんな意図があるのかは知りませんが、いろいろと規制ができると、その分仕事は増えるし、なにより自由から遠のきます。
倫理法や個人情報保護法ができた時には、たしかに当たり前の常識的な考えであることは理解できるものの、そこまでやるか?という気持ちになったのは、正直なところです。
そして、セクハラ防止に関しては、職員が不快に感じる場面は減るといういい面は多分にあるものの、それも程度問題。
訴えられるのを恐れて伝えていいことを伝えられなかったり、良かれと思って相手に言ったことが悪意に捉えられたりと、人との距離の取り方に試行錯誤しているのが現在の50代なのではないかと思うのです。
ここからは余談ですが、数々の制度運用に関しては、私は否定も肯定も賛成も反対もしないというのか「これも時代の流れかな」的に捉えてきました。
でも、あまりにもキチキチのガチガチにやり過ぎる体には、実は辟易していたのです。
私からみると、今の公務の職場は、キチキチのガチガチにみえます。
余裕がない、自由がない、まったく面白くない(笑)。
言い過ぎであることは承知してますが、これはあくまで私の感覚であり、そんな小さいことをいちいち気にせず楽しく仕事をしている公務員もいます。
人それぞれ感じ方が違うので、それがいいんです。
そうでないと、公務員が全員いなくなったら困ってしまいますから、本当に。
働かない50代公務員に変わってほしい?変わりたい?
働かない50代がいるとしたら、変わってほしいと思いますか。
そして、そんな自覚のある50代の方は、変わりたいと思いますか?
はっきりいいまして、長年公務員をやってきた50代だと、そうそう自分の価値観やスタイルを変えることは容易ではないでしょう。
人それぞれに、その人なりの確固たる信念や正義を持っていますので。(私ももちろんそうです!)
なので、こんなふうに捉えてみるのもアリなのかなということで、一例を挙げてみます。
- 相手が変わることを期待するのは、労力をダダ漏れさせているだけ
- 本人が気づいて「オレ(アタシ)、マジで変わりたいわ!」と思わないかぎり、相手は変わらない
よく言われることではありますが、「自分の考え方や捉え方を変える」どうやらこれに注力したほうがよさそうです。
そうすることで自分の周りの環境が変わっていったことは、一応経験しています。
とはいっても、自分を変えることも、これまた難しいんですけどね。
でも例えば、超うざったい上司にイライラして、そればかりに意識がとられてしまうと、自分もそっちの世界に引っ張られます。
なので、もしそれが嫌なら、その逆をすればいいんだと思います。
その上司のことをずっと思っているより、「自分ができるだけ心地よく仕事をするにはどうすればいいのか」「早く仕事を切り上げる方法はないか」なんてことに意識の方向を変えるといいますか・・・。
そんな堅苦しいことじゃなくても、好きなこととか好きな人とか好きな食べものとか、自分が上機嫌になるものを思い浮かべる方が、手っ取り早いかもしれません。
これもよく言われるのですが、イライラなどのネガティブ感情を持つのはいいけれど、いつまでもそれに引っ張られずに、ある程度したら「気持ちを切り替える」ということだと思うのです。
ちょっとエラそうなことを言ってしまいましたが、相手を変えるより楽なことは、自分(の思考や意識の方向)を変えることと言われているのは、やはり真理じゃないかと思っています。
ということで、50代の仕事ができない、働かない人が変わることを期待しない方が、我が身のためでもあるという話でした。
そして、自覚のある50代の方は、自覚がある(自分で気づいている)時点で、もうすでに変われているんだと思います。
おわりに
勘のいい方はお気づきでしょうが、ここにあげた50代の仕事ができない公務員の例は、すべて私だというオチでした。
ただ、こんなことをいっている私も、自分はそこそこ仕事をしていると大いなる勘違いをし、「仕事をしない上司」に対して不満を持っていました。
そして、「公務員も民間のように、年齢に関係なく能力によって昇給・昇格をすべき!」なんて息巻いてました。
どの口が言ってんのかと、本当に笑っちゃいます!今書いていても恥ずかしすぎて・・・
自分が上司となった時、いかに自分が無能かを思い知らされ、そして気づきました。
私の頃と今とでは、できない上司の割合に違いはあれど、
結局、いつの時代も、上司はヒール役なんだと。
・・・またまた長文になってしまったうえに、なんだかネガティブチックな内容となったことは否めません。
さらに、いったい何がいいたいのか・・・まったくまとまりのないものとなってしまいました。
それでも読んでくださり、ありがとうございました。