こんにちは。もりこねです。
今や日本を代表する演技派俳優として、そして昨年はタレントパワーランキングの1位におなりあそばされた北海道が生んだ大スターといえば、あの大泉洋氏です。
その大泉氏の出世作ともいわれるのが、言わずと知れた北海道テレビ放送(HTB)の「水曜どうでしょう」にほかなりません。
北海道のローカル番組として始まった同番組が全国区の人気となって久しいですが、その人気の立役者として、カメラ担当ディレクターの嬉野雅道氏(愛称うれしー)は欠かすことのできない大きな大きな存在です。
藩士(水曜どうでしょうファン)と奥様に人気と評判の嬉野氏のエッセイ本「ひらあやまり(角川文庫)」を読みましたので、その感想をお伝えします。
この「ひらあやまり」を読んだ後は、嬉野氏の類まれなる文才に魅了され、私はすっかりうれしー奥様ファンクラブ(そういうのあるのかな?)の末席に加わってしまったようです。
そんな嬉野氏&「ひらあやまり」の魅力を、力のかぎり!お伝えしてまいります!!
(注:かなりの長文です)
「ひらあやまり」を読む前のうれしーのイメージ
嬉野雅道氏のことを、恐れながらもここでは敬愛の意を込めて「うれしー」と呼ばせていただきます。
この「ひらあやまり」を読む前に、私がうれしーに抱いていたイメージを3つほど挙げてみます。
「水曜どうでしょう」の撮影をする人
うれしーのことは、HTBの深夜のお化け高視聴率番組「水曜どうでしょう(略して水どう)」のカメラマン・ディレクターとして、お名前とお顔は存じ上げておりました。
そのうれしーですが、ここ数年は「水曜どうでしょう祭」を手掛けたり、「藤やんうれしーの水曜どうでそうTV」でYouTube番組を務めたり、「嬉野珈琲店」を開いたりと、まあそのほかにも様々ありますが、地味に(?)スゴい活躍をされています。
「藤やんとうれしーの水曜どうでそうTV」↓
いろいろなうれしーで楽しませてはいただいているものの、私にとってのうれしーのイメージは、やっぱりカメラマン。
どんなハプニングが起こっても、いやハプニングだからこそカメラを回す、何があってもカメラを止めない、そんな「水どう」のなにげに凄腕な「カメラマン」なのです。
「シカでした」の人
数々の名ゼリフを残している「水どう」ですが、その中でもベスト10(いやベスト5か?)には入るであろう名言といえば・・・
「シカでした」
そして、その生みの親が、まさにうれしーなんですよね。
あれは、1998年放送の「マレーシア・ジャングル探検・第4夜」での出来事。(私は再放送でしか観ていませんが)
真夜中に「シカ」を「トラ」と間違えたうれしー。
しばし、あのどうでしょう班4人がわちゃわちゃしますが、最後にシカだとわかると、ちょっと間の抜けたうれしーの「シカでした」という声で、この場は無事幕を閉じます。
カメラマンという仕事柄、番組では発言することが少ないうれしーなのですが、だからこその貴重な名ゼリフなんですね。
日本一周女性ライダー「嬉野夕起子さん」を妻とする人
はっきり言ってしまいます。
私が「嬉野さん」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、実はうれしーよりも奥様の「嬉野夕起子さん」なのです。
うれしーの奥様はバイク界隈で有名な方で、日本一周をいったい何周回したの?というほどのツワモノ女性ライダー。
一応バイク乗りである私は、20代の頃から、バイク雑誌やホクレンGSのマップなどで嬉野夕起子さんのアグレッシブなバイク旅の様子を拝見していました。
美人でスタイル抜群なのに勇ましい、すごい女性ライダーがいるものだと尊敬の念を抱いていたのです。
このお二人がご夫婦だと知るには、ずいぶん後になってからでしたけどね。(普通もっと早く気づくでしょ〜?)
とても素敵なご夫婦です💕
「ひらあやまり」読後のうれしーのイメージ
「ひらあやまり」を読んだ後のうれしーのイメージは、これまでに加えてこんな感じになりました。
類まれなる文才
私のような一般ピープルなド素人がエラそうに言うことでもないのですが、読後にまず感じたのは、うれしーは類まれなる文才だということです。
うれしー独特の言い回しというのか、うれしー節がそこかしこに散りばめられ、非常に個性的です。
それなのに、読後はそよ風に吹かれたような爽やかな気分になるのは、いい塩梅に絶妙なバランスでまとめられているからだと思うのです。まさに、センスのかたまり。
これはもう、唯一無二の誰にも真似のできない稀有な物書きさん以外の何者でもないです。
ここでもはっきり言ってしますが、こんなに熱くうれしーのことを語っている私ではありますが、この「ひらあやまり」を読む前までは、正直そこまでファンではありませんでした。
そんなにファンでもない方(ごめんなさい!)のエッセイ本を読んで、こんなに面白いと心をわしづかみにされたのは、珍しいことです。
それと、もう一つ語らせていただくと、うれしーは文章が長いです。
それに加えて、言葉ひとつひとつに含蓄があることから、適当に読み飛ばしてはいけないオーラを感じるので、反芻してしまうこともしばしば。
当然、読むのに時間がかかる、はずなんです、本当は。
それなのになぜか、あっという間に読了してしまいました。
早く先を読みたい!次はどんな言葉が飛び出してくるの?!というワクワクを感じさせる何かが、うれしーの言葉にはあるんでしょうね、きっと。
易しくて優しい哲学者
読後直後のもう一つの感想は、「これは新種の哲学書か?」でした。
ほとんど哲学書を読まない、哲学とは何かを説明できない私がいうのも説得力がありませんが、生きるとは何か、いかに生きるのか、本当のしあわせとは・・・なんていうのを、さらっとゆるい雰囲気で教えてくれる本だと思ったのです。
でもそんなうれしー哲学は、まったくもって押し付けがましくなく、決して上から目線でもない、本当に易しくて優しい哲学書であり、うれしーはそんな哲学者でもあると思いました。
普通は素通りしてしまう日常のささいな出来事を、うれしーは拾います。
拾って拾って拾いまくって、そこから人生観へとつなげていきます。
そのさまが、これまた実に見事で、芸術的で、小気味よくて、かっこいいことこのうえない。
生きるとは何かを考え過ぎてしまったり、生きづらさを感じたりしたら、小難しい哲学書を読むよりも(?)、こちらの本をお勧めします(笑)。
スッと腑に落ちます。
そしてやはり、うれしーにしかない独特の世界観、「うれしーワールド」が展開されてます。
そもそも誰もが唯一無二であり、自分の世界観で自分らしく生きていいんだよ・・・ということにも、気づかせてくれているようでした。
驚くほどのしなやかさとこだわりのなさ
私は、うれしーのことをほとんどなにも知らなかったのですが、この本を読んで、この年代の男性には珍しく(?)驚くほどしなやかでこだわりのない人なんだと感じました。
それが、人間うれしーの最大の魅力であると、私は勝手に思っています。
「水どう」ではカメラマンという裏方でした。
それでも多くのファンがいて慕われている理由が、これを読んでよくわかりました。
それは、これからご紹介する「心に刺さった」ところにつながっていきます。
心に刺さった私の「ひらあやまり」
さてここでやっと、「ひらあやまり」を読んで心に刺さったところをご紹介していきます。
本当にたくさんの名言、名場面があり選ぶのに苦心しましたが、その中で3つだけ挙げていきます。
人間は意識を向けたところに引っ張られるって本当なのね
自分の気分にしたがって、会社の会議室を占拠し勝手に「カフェ」を始めたうれしー。
このような自分の気分にしたがった行為は自分勝手であり、じゃあ人を殴りたい気分になればそうした方がいいのか?とわけの分からない心配をする人に対しての言葉をご紹介します。
うれしーが20代で自動車教習所に通っていた時の教官の言葉が印象に残っているとして、例に挙げています。
「嬉野さんねぇ、カーブを曲がるときは、センターラインを見ながらハンドルを切るんですよ。そうするとね、うまく曲がれます。人間はね、見ているものにどんどん引っ張られるんです(中略)」
あの教官は言っていました。
「人間は意識を向けたものに引っ張られるんです」と。
「人間はそういうふうにできているんです、理屈じゃないんです」と。
だったら。
わけの分からない人のことをわざわざ視野に入れることは、わけの分からない人を常に見つめ世界を考えることは、わけの分からない人にどんどん時代が引っ張られていくことになりはしないかって。そうして結局、わけが分からない人が暮らしやすいだけの世界をわざわざ作ることに結果的になりはしないかって。
「ひらあやまり」角川文庫・平成31年3月25日初版発行・P164、165
今の時代にまさにぴったりの言葉だと、いたく感銘いたしました。
人はきっと、自分が意識を向けたものに引っ張られて、これまでの現実世界を作ってきたのでしょうね。
なのでこれからも、意識する対象はとても大切だと思っています。
わけの分からないことを言う人たちのことまで視野に入れて悩んだり考えたりすることほど、ばかばかしいものはありませんよね。
そんなことはもうどうでもいいやと、最近とみに思っています。
時間がなくて焦っている時こそ時間があると思うこと
うれしーが若い頃のお話です。
ロケ地探しの仕事を任されたが、なにも考えずに出てきて時間もなくなり、心と頭は焦るものの体が動かず極限状態に。
そんな時に出した結論は・・・
つまり時間がないと思うから私は焦るのであって、焦るから私はまともな考えも思いつかないのであって、考えが思いつかない限り私のからだは動きだしはしないのだから。そうであればこれ以上、ロケ地探しは一歩も進まないわけだから、もはやこの際「時間がある」と思うしかない。
「ひらあやまり」角川文庫・平成31年3月25日初版発行・P180、181
そこで、「時間がある」と思えるところが、うれしーの並外れたところでしょうか。
でもそれをきっかけに、いい「言い訳」がどんどん思いつき、自信も出てきて、時間はどうにでもなるとなったら心に余裕ができた。そこからいい「アイデア」が浮かんで、すべてはうまくいったという不思議で素敵なお話です。
私はよく人から「焦るとろくなことがないから、まずは落ち着いて」なんて言われます(苦笑)。
時間がない時こそ、一旦作業をやめて深呼吸をしたり、お茶でも飲むなどして少し休憩したり、そして「時間がある」と思うこの発想の転換とでもいうのでしょうか、これが大事になるんですね。
「ない」じゃなくて「ある」と思う・・・さすが嬉野先生です。
「自分でハンドルも握れないような人生」それもまたよし
九州生まれのうれしーが北海道に移住したのは、奥様である夕起子さんの計画です。
「そんなことは自分の人生設計では思い浮かばなかった」とうれしーは言います。
そして、夕起子さんが運転するバイクの後ろに乗っかり、その計画に付き合ううれしー。
「オレは自分でハンドルも握れないようなそんな人生はごめんだな」と女房の親父さんは言っていましたが、あながち、そうばかりではないだろうと私は思うのです。自分の意志だけで全てを決めてしまえば、私は北海道へ移住することもなかったのです。そうなれば私は藤村くんに接近遭遇することもなかった。
(中略)
自分の力だけで人生を進むことに強くこだわっていては、反対に、オノレの想像力を超えた世界のあることを知ることができなくなる。
「ひらあやまり」角川文庫・平成31年3月25日初版発行・P204、205
「自分でハンドルを握りたい」「自分で操縦したい」私はそう思ってバイクの免許を取りました。
それ自体が悪いということではないのでしょうが、自分の力だけで生きていこうとしてそれにこだわってしまうと、自分が思いもつかないような世界や偶然の産物には到底出逢えないかもしれません。
自分一人だけの力で生きていくことにこだわり過ぎると、様々な人・物・事に「生かされている」ということに気づかず、感謝ができなくなるからかもしれませんね。
またうれしーの場合は、一見、人に自分の人生を決められているようにも見えますが、実は全く逆のように私には思えるのです。
人に乗っかる人生も「またよし」として、自分でその道を選んでいる。
人の目を気にするのではなく、「わっ!なんかそれ、面白そう!いいじゃない!乗っかっちゃえ!!」的な。
私ももちろん、おそらく多くの人は、物事を選択する際の基準として、自分が本当にやりたいかやりたくないかということよりも、「みんながやってるから」とか「普通はこうだから」とか「こっちの方が得だから」なんていうような他人軸だったように思います。
でも、うれしーは違うように思えるのです。
変なこだわりがないから、いい具合に力が抜けている。
人やモノコトに委ねているから、感謝ができる。
そして、自分らしく、自分の感覚(気分)を大事にして、自分に正直に生きているから楽しそうにみえる(実際楽しい)。
すると、周りも楽しくなる。
ゆえに、藤村ディレクターとの運命の出逢いをして、「水曜どうでしょう」という歴史に名を残す番組が誕生したのだと思えてなりません。
うれしーがみんなに愛されている秘密を、垣間見た気がします。
まあ、これはあくまで私独自の解釈なんですけどね。
おわりに
今、第二弾の「ぬかよろこび」を読んでいます。
実は先日、カフェにまで出向いて、優雅な気分でこの「ぬかよろこび」を読んでいました。
ところが、冒頭からあまりの面白さに吹き出してしまい、読めば読むほどに「笑い」が止まらず、そのうち涙も出てきてしまったため、周りの視線が気になり、やむなくその店を後にしました。
カフェ代がもったいなかったです。。。
まだ途中までしか読んでいないので今後の展開がどうなのかなんともいえませんが、前作の「ひらあやまり」とはまた違ったテイストだと感じました。
この人をいっときでも「哲学者」と思った私の、見立て違いなのでしょうか(笑)。
いやいや、大泉洋さんに匹敵するほどの「笑いのセンス」を感じました。
本当に多才なお方です。
しかし、うれしーの珈琲は、うれしーブランドとはいえ少々お高めだと思っている私です(笑)。
でも、あらゆる手を使ってでもうれしー珈琲を入手し(!)、それができた暁には、「ぬかよろこび」の感想とともに、その情報をお伝えしたいと思っております。
長らくのお付き合い、ありがとうございました。