こんにちは。もりこねです。
いきなりですが、つい最近、かなり辛い出来事に遭遇しました。
ここのところ、多いんです。精神的に凹むことが・・・。
因果応報?なんでしょうかね(苦笑)。
冗談はさておき、辛い時ってどうしていますか?
人に話を聞いてもらう、笑ってみる、気持ちを切り替える、好きなことをする、寝る・・・などいろいろあろうかとは思います。
50年以上生きている私も、これまでに辛い状況になったことは星の数(?!)ほどあり、その度に上記に挙げたことをしてなんとか凌いできました。
そして今回の私は、「自分ウォッチング」をとことん試してみることにしたのです。
自分ウォッチングなんて言葉はないと思いますので、「自分の内面を見つめる」というような内観的なイメージで捉えていただければ幸いです。
「楽しみながら」という意味合いも込めて、この表現にしました。
まだまだハートブレイクが少しばかり残存している状態なので途中経過ではありますが、そんな自分をウォッチした結果をまとめてみました。
今回は、自分に向けて、自分のために書いていきます。
辛い現実に最初は目を背けたくなるがそこに根本解決はない
これまでの私は、辛い現実を目の当たりにしたり、絶望、無力感に打ちひしがれると、その瞬間は一体何が起こったのかわからなくなり、とりあえずフリーズします。
そしてその後、私の行動や心理は、こんなことになっていました。
- 本当はかなり動揺しているのに、何事もなかったのかのように振る舞う
- 本当はかなり傷ついているのに、「これくらいたいしたことはない」「大丈夫」と自分に言い聞かせる
- 本当はかなり凹んでいるのに、無理矢理にでも笑ってみる
- 本当はかなりネガティブになっているのに、ポジティブシンキングを意識する
余談ですが、1の場合は、猫がジャンプや狩りなどに失敗するとそうなるらしいです。(一応今日は、スーパー猫の日なんで・・・)
仕事やコミュニティなどの公の場では、一時的にこういった行動や心理は必要でしょう。
でも、これらはあくまで対処療法的なものであり、いつまでも続けられるものではないと思います。
それはなぜかというと、私が思うに、これらの行動や心理は、「辛い現実に目を背けている」「自分の本音から逃げている」と言えるからです。
そしてこれって、表面上(言葉や態度等)の自分と本音の自分にずいぶんな乖離があり、自分に嘘をついているわけですので、無理がたたります。
辛い現実に目を背けているうちは、根本的な問題解決が難しくなるだけでなく、その辛い状態がいつまでも尾を引いてしまう可能性があると思うのです。
これは、自分の本音から逃げることで、また同じことが何度も繰り返されるという経験を、これまで嫌というほどしてきた私の持論です。
まずは辛くとも自分と向き合い本音を炙り出してみる
でもですね。
辛い現実から逃げたり、自分の本音と向き合おうとしなくたって、そのうち否が応でもこのような感情が湧いてきませんか。
- なんでこんなことになってしまったんだ?→原因分析モード
- あの場であんなことを言わなければ(しなければ)よかった→後悔モード
- やっぱり自分はダメ人間で必要とされていないんだ→自己肯定感ダダ下がりモード
- あの人やあの職場に問題があるんだ→他責モード
他にもあるのでしょうが、どれにしてもネガティブな感情にどっぷり浸かることになります。
気持ちを切り替えようとか気にしないようにしようと思ったって、気がついたらこのような感情になってしまっています。
だったら、この時ばかりは、そんなネガティブ感情であってもどっぷり浸かってしまう方がいいのかもしれません。
「超悔しい!ムカつくー!!」
「もうなんだかわかんないけど、悲しすぎて・・・」
と、一人であれば、怒りをあらわにしたり、オイオイと泣いてもいいんですよ。
だって、それが、自分の本当の気持ち、自分の本音だからだと思うのです。
「自分ウォッチング」の一番の目的は、自分の本音に気づくことだと、私は最近気づきました。
「自分はなんて馬鹿なんだ!」
「自分なんて最低最悪なダメ人間!」
そんなことを思ってしまったって、たまにはいいんじゃないでしょうか。(私なんて結構な頻度で思っていますが・・・)
「なんであいつにあんなことされなきゃいけないんだ?」や「あの人にせいでこんなことになったんだ!」と他人のせいにしてしまうことだってありますよ。人間ですから。
どんなネガティブな感情でも、おぞましいドロドロとした感情でも、それが今の自分の紛れまもない本音、嘘のない正直な感情なので、それを味わい尽くすのです。
これはけっこうしんどい作業ですが、これを味わい尽くすのとしないのとでは、回復力や今後の生き方に差が出てくると思います。
「ネガティブ感情はよくないんじゃない?」「ますますその現実を引き寄せるんじゃない?」という声も聞こえてきそうですが、自分の本当の気持ちに蓋をして、耳障りのいい言葉ばかり並べたり、無理して前向きな気持ちになろうとしても、限界があります。
そうやって蓋をして見て見ぬふりをしてきたものは、たまりに溜まって堪えきれなくなって、そのうち爆発します。
もしくは、自分の本当の気持ちがどんどん奥の方に追いやられて、気づきにくくなってしまいます。
辛いことが起こった時こそ自分の感情を味わい尽くすチャンスであり、個人差や状況にもよるのでしょうが、思うほど時間を要しません。
しんどい作業なので、そうそう長くはこんなこと続けていられませんから。
自分をウォッチングしてみた結果
そんなふうに自分の内面を見つめ、本音を炙り出すという作業を、今回やってみました。
とは言っても、なかなかすぐにはその辛い現実が認められず、「たいしたことではない」「私は大丈夫だ」と自分の内面から目を背け、平静を装っていたのです。
そんな現実逃避のために好きなユーチューバーさんの動画を観ていたその時、ある言葉が私の琴線に触れました。(そのユーチューバーさんが悪いわけではありませんよ)
そしてそこから、悔しさや悲しさ、やるせなさなどの感情がワーッと溢れ出し、気がついたら一人部屋の中でオイオイと涙を流していたのです。
自分の心に正直になれた瞬間でした。
その後、そんな自分の偽らざる気持ちを味わい尽くしたことで、負け惜しみではなく、本気でこんなふうに思えたのです。
- 今回の出来事は失敗ではあったけど、果敢に行動し精一杯やったんだからいいじゃないか
- 行動しなかったら多分後悔していたから、結果は残念でも行動を起こしてよかった
- 自分の言動や思考の課題を、素直に認められた(傲慢さや甘えが多々あった)
- 今回の行動や選択は、自分が本当に望む道ではなかったかもしれないことに気づいた(ステージが変わった)
- 自分の本音に気づかせてくれたこの出来事への感謝
なんだか、目が醒めました。
こんな気持ちになれたのは、これまででおそらく初めてであり最速です(笑)。
また、3と4に気づけたことで、自分らしい人生を生きていくヒントが得られたように思っています。
そして、行動面、心理面では、こんな変化がありました。
- 自分を冷静に客観視できた
- 今目の前のことに集中し、丁寧に過ごしていこうという気になれた
- 次に向けて行動を開始できた
- 一皮むけた感じでスッキリした
- 心の底から大丈夫と思えた
- 心の底から笑えた
- 熟睡できた
- このブログが書けた!
辛い出来事の余韻はまだあるものの、全快の未来はそう遠くないと思っています。
そして何より、話を聞いてくれる人がいるというのは何よりもありがたいことだと、ひしひしと感じました。
おわりに
辛い現実から逃げてばかりの私が、今回がっつり自分に向き合い本音を炙り出したことで、ざまざまな気づきを体感しました。
そして、自分に正直になることは、生きていくうえでの必須項目なんじゃないかと思った次第です。
生きていれば辛いことや悲しいことが起こるのはこれからも必至でしょうから、その時に、またこの記事を読み直してみます。
はたしてどんな感情になるのでしょうか、ちょっと楽しみです、ふふふ。(変態か?)
ちょっと何言ってるのか意味不明なところもあったでしょうが、こんな記事でもいつか何かの折にお役に立てれば幸いです。
今日は、2022年2月22日で「スーパー猫の日」でした。
ありがとうございました。