ご訪問ありがとうございます。
今回の記事は、2020年11月にライブドアブログで一度は挙げたものの、今は下書き状態になっている、ちょっと古いものになります。
私は、当ブログの他にライブドアブログもやっておりますが、現在はまったく更新しておりません。
ゆえに、ライブドアブログをそろそろ閉じようかと考えているのですが、閉じると同時に、当時としては渾身の思いで書いた記事がすべてなくなってしまうのは忍びないということから、その一部をここに挙げてしまおうと画策したわけです。
加筆、修正は最小限にいたしますので、ブログ初心者の初々しさ(?)&ツッコミどころ満載の記事をお楽しみくださいませ〜(苦笑)。
2020年11月作成の記事・本文はじまり
私は元公務員です。
バブル期に某省の地方出先機関に採用され、それから20年以上、国家公務員一般職として粛々と(?)勤務をしていました。
今でこそ、公務員は人気の職業の上位にあたるようですが、狂喜乱舞のバブル期だった当時、公務員になりたいなんて人は、ちょっとおかしいんじゃないの?
・・・とそこまでは言われないにしても、とにかく人気のない職業でした。
そんな不人気な公務員という職業を、私がなぜ選んでしまったのか、その理由をこれからお伝えしていきます。
あくまで私の経験談なので、お役に立てるかどうかは保証できませんが、こんな人もいるんだな、こんな時代もあったんだな・・・という情報の一つとして捉えていただけると、大変ありがたいです。
理由1:公務員にしかなれなかったから
私が公務員を選んだ理由は、とても簡単です。
「公務員にしかなれなかった」
ほぼほぼ、これに尽きます。
昔々、「でもしか教師」という言葉が流行ったようですが、それと同じような感じでしょうか?
「教師にでもなろうか 教師にしかなれない」
「公務員にでもなろうか 公務員にしかなれない」
(この当時教師もしくは公務員になられた方、お許しください・・・)
今、「公務員になりたい」と必死で勉強をしている人からすると、「なんて羨ましい!」そして「なんて腹立たしい(?)」などという感情が沸いてくるような話かもしれません。
たしかに、私が公務員試験を受けた当時は、試験の競争倍率は今と比べればかなり低く、同級生で優秀な人材は、いい感じの民間企業に流れていった時代です。
なぜ、優秀な人材は、公務員ではなく民間に流れていったのか・・・
もうおわかりかと思いますが、時はバブル全盛期、民間企業は、優秀な人材をどんどん採用していました。
そして、雇われる側も、公務員よりも給与などの条件が良い民間の方が、断然魅力的です。
見た目や雰囲気も、役所にはない華やかさが、民間企業にはありました。
そんな民間企業でバリバリ働いて認められれば、仕事に対するやりがいやおもしろさも出てきますし、仕事をすればするだけお金が入ってくる。
そうすれば、好きなブランドの服や鞄を買ったり、海外旅行を楽しんだりできて、公私共にハッピーです。(・・・と思い込まされてきた時代です)
実際、都市銀行やリクルート(←なぜに固有名詞?)などに勤務していた知人・友人とは、遊び方がまるで違っていました。
交友関係も違えば、ボーナスの額も比べ物にならないほどです。
そんなバリバリカッコよく働いて、キラキラした生活を送りたいと思うのは、当然のことでしょう。若ければなおさらです。
なんと言っても「♬24時間戦えますかっ!ビジメスメーン!」のリゲ◯ンの歌が流行った時代ですからね。(今思えば、おかしな時代でしたよ、ほんとに・・・)
そして、そんな輝かしい民間企業に、私がなぜ行かなかったのかと言いますと、行かなかったのではなく、行けなかったのです。
優秀ではなかったからです。
それどころか、かなりの劣等生でした(涙)。
お勉強もできなければ、愛想もない、一芸もない、これといった「推し」のない私が、民間企業への就職が厳しいとわかってからは、進む道はもう公務員しか残されていないという現実を突きつけられたのでした。
しかし、いくら公務員試験の倍率が低いと言っても、採用試験はきっちりあったわけなので、試験勉強にはかなりの時間を費やしました。
偏差値が決して高くない学校で、その中でもさらに成績が底辺の私だったので、相当の勉強をしないと、当時といえども公務員試験は突破できませんでした。
そんな公務員試験のために青春を賭けた若き日の私でしたが、奇跡的に試験に合格し、以後20年以上の公僕生活を送ることになるのです。
この項の最後に・・・
私が優秀じゃないから公務員を選んだというと、当時公務員になった人は優秀ではないという誤解をされかねないので、ここでその誤解を解いておきたく、もう少しお付き合いください。
私の同期やその近辺で入省したいわゆる「バブル入省組」は、巷ではあまり評判はよくないようです。
ただ、これは個人的見解なのですが、その当時の入省組は、それはそれで、個性的でおもしろい人が多かったように思います。
まあ、それが評判が悪い原因なのかも知れませんが(苦笑)。
本省のいわゆるキャリア組(今でいう国家総合職)を除いては、高卒や専門学校卒者が半数以上を占める叩き上げが多い我々の世代。
学歴もなくお勉強が優秀とは言えない分、ハナからプライドもへったくれもなく、自虐ネタと大泉洋さんばりのボヤキが口癖。(もちろん全員ではありません)
でもその分、柳のようにしなやかで、雑草魂のようにたくましい人が多いように思いました。まあ、デリカシーがないとも言えるかもしれませんが(苦笑)。
そうやって、若い頃にいろいろやらかして「おイタ」をしていた人達が、今は、意外や意外に重要なポジションで活躍して、組織をうまく束ねています。それが良いと言っているわけではないですけどね。
もちろん、これが、すべてのバブル入省職員に当てはまるとは言いません。
バブル組は仕事ができない、仕事をやらないなんて言われていて、たしかに、そういう人もいますからね。残念ながら・・・
でもそれって、どの世代でもどこの職場でも、一緒だと思うんですけどね・・・
理由2:大学に通いたかったから
これは、またまたかなりの個人的理由ですし、ちょっとしみったれた話になるのかもしれません。
私は、高校を卒業してすぐに公務員になりました。
本当は大学に進学したかったのですが、経済的な理由で断念したのです。(奨学金をもらえばいいとかそんなレベルではなく、当時は諸般の事情で私が家計を支えなければなりませんでした)
いや、経済的ももちろんありますが、学力的に難しかったのも正直なところでした。
前述したとおり、公務員を選んだ理由は、「公務員にしかなれなかった」というのが大半を占めます。
が、「公務員として働きながら大学二部(夜間)に通っている人がいる」というのを知ったことも、公務員を選んだ理由の一つだったのです。
ひとまず公務員となり、大学に行きたければ、公務員をやりながら通えばいいんじゃないかと。
なので私は、18歳から公務員として働きながらある程度学費を貯めて、20歳で念願の大学(通信制)に入学しました。
別に、学歴が欲しくて大学に行ったわけではありません。
当時から、公務員よりもやりたいと思っていた仕事があって、いずれその業界に転職する可能性を考えての大学入学でした。
はじめから転職を視野に入れて公務員になるなんて、公務の職場に対しても国民に対しても、大変失礼なことをしてしまったと思っています。
そういえば、高校時代からの友人は、昼は公務員として勤務しながら、夜は大学に通って4年で卒業しています。
彼女の場合は、勉強がしたくて大学進学を希望していたのですが、やはり経済的理由で進学は断念し、公務員になったのでした。
それ以外でも、私が入省した当時は、周りに大学二部に通っている人が一定数いて、同じように経済的な理由で大学進学が叶わず、公務員の道を選んでいたのです。
そんな志を持った大学二部生である職員に対しては、当時は、残業せずに定時で帰れるようにと周りからの配慮や応援がありました。
私の場合は、スクーリングや教育実習で、長期休暇を取得させてもらったのです。
長期休暇を取るたびに、こんなに休暇が取りやすい公務員になって本当に良かったと思いましたし、送り出してくれた職場環境にも感謝をしていました。
当時は、今ほど公務の職場は激務ではなかったこともあるのでしょう。夜間大学に通えたり、長期休暇が取りやすい環境だったのです。
今は、大卒で入省する職員が大半を占めることから、夜間大学や通信制大学に通っているという話は、私の周りではほとんど聞かなくなりました。
働きながら大学を卒業するというのは、少し大変ではありましたが、公務員だからできたことなのかなと、今となってはありがたく思っています。
理由3:親が望んでいたから
よくありがちな理由の一つだと思います。
親というのは、今も昔も、自分の子どもには出来るかぎり苦労をしてほしくないと思っている生き物です。
苦労しない方法として、良い学校に入学して、安定した企業や団体・組織に就職することで、安定した収入が得られ、安定した人生が送れる、めでたしめでたし・・・ということなのでしょう。
そして、安定といえば公務員、公務員安定神話は最強です。
本当の意味で公務員は安定か?と問われると、今の私は、そうではないと答えると思いますが・・・
まあ、そんなことはいいとして、前項で触れたとおり、我が実家は裕福でなかったので、私の親は、特にその思いが強かったようです。
「公務員になりなさい」と口酸っぱく言われていたわけではないですが、「(安定した収入が得られる)公務員になってほしい」という親の思いが伝わってくるのです、ひしひしと。
そして、実際公務員になった時の我が親の喜びようと言ったら、なかったです。
バブル期なんていうのは、家柄や学歴がなかなかによろしいご家庭であれば、キャリア(今の国家総合職)以外の公務員になるなんていうのは、そこまで喜ばしいことではなかったものです。
でも我が親ですからね。喜ぶ気持ちはわからないわけではありませんでした。
まあ一生に一度くらい親の喜ぶ顔が見られたということは、よかったこととしておきます。
ただ、自分の人生は、当たり前ですが、親のものでも親戚縁者のものでも誰のものでもありません。
だから、もう少し自分の気持ちに寄せても良かったかなとは思いました。
親が望んでいたからというのも公務員を選んだ理由の一つですが、最後はやはり、自ら選んで公務員になったことには変わりはないので、親のせいにするつもりは毛頭ありませんけどね。
まとめ:公務員は当時の私にとってはベストな選択だった
私の身の上話なぞに、よくぞここまでお付き合いくださり、ありがとうございます。
最後に、なぜ公務員が人気がなかったのか、いい人材は民間企業を選んだのかを振り返ってみます。
これは私などがいうまでもなく、すでにわかりきったことでしょうが、一応挙げていきますと・・・
- 地味
- お堅い
- ダサい(死語?)
- 真面目過ぎる
- 仕事がつまらなそう
- 夢や希望がなさそう
- 薄給(特に若い頃は)
- やりがいがない
- とにかくイケてない
・・・散々な言い様ですね。もうこれくらいにしておいた方が、よさげです。
でも、実際に公務員になってみて・・・やはりそのとおりでした(苦笑)。
そんなしみったれた公務員の世界(?)で貴重な時間を費やすよりは、民間企業で、自分の能力を最大限発揮して、バリバリ働いて、ガンガン稼いで、キラキラした生活をしたい!
あの希望に満ち溢れた時代、そう思うのは至極当然のことでしょう。
と言いますか、そもそも公務員という選択肢が、あの当時の若者にあったのかどうかも疑わしいです。
ただ、私個人としては、公務員を選んだことは、ベストな選択だったと思っています。
私は当時から、バリバリ働きたいわけでも、ガンガン稼ぎたいわけでも、キラキラしたいわけでもありませんでした。
見た目も性格も地味目だったので、確実に安定した収入が見込めて、私のようなパッとしない残念女子でもなんとかやっていける職業。
女性が自立して生きていける職業。
女性が結婚しても出産しても働き続けられる(働きやすい)職業。
それが、当時は「公務員」だったのです。
今気が付いたのですが、もしかしたら、これが公務員を選んだ一番の理由なのかもしれません。
おわりに
以上で、2020年11月当時に作成した記事は終了となります。
何を思ってこの記事を書いたのか、今となっては皆目見当がつきません〜。
「公務員試験の際の志望動機の作り方」的な記事は人気があるようですが、同じ志望動機的な内容でも、この記事に関してはどう考えても需要があるとは思えないのです。
冷静に読んでみても、ただただいろーんな意味で自分の恥を晒しているだけなそんな黒歴史記事、それでも今回挙げようと決断したのは、単純に記事のストックがなくなったからです(笑)。
更新頻度を上げたい・・・今の切実な思いです。
はい、今日はこれでおしまいっ。
ありがとうございました。