昨今、「働かないおじさん、おばさん」という言葉が世間を賑わせているようです。
ニュースをほとんど見ない私なので、この言葉を知ったのはつい最近のことなのですが、その時頭に浮かんだのはこんなことでした。
そういえば、公務員時代にも「働かない職員」っていたなぁ・・・(遠い目)
ということで、今回はこんな内容です。
- 働かない公務員ってどんな人?
- なぜ働かなくなってしまったのか?
- 働かない人と関わることになってしまった際の対処法
・・・と、こんなエラそうなことを書こうとしている私自身が「働かない公務員」だったのかもしれませんので、自戒の念を込めてお届けしていくことになりそうです。(メンタル、きっついわ〜)
働かなくなった公務員には、それなりの理由や背景があります。
それらをふまえたうえで、そのような働かない人から影響を受けないための対処法もお伝えしていきます。
- 某省の出先機関で20年以上勤務してきた元公務員女
- スキルなしの事務系公務員が、40代という微妙な年齢で自主退職
- 退職して10年以上経つにも関わらず、いまだに公務員ネタを投稿中
働かない人へのイライラが少しでも減少して、より快適な公務員ライフが送れますように・・・
そんな思いを込めて、今日もまた、自身の生き恥晒していきます。
働かない公務員といわれる人ってどんな?
まずは、働かない公務員とはいったいどんな人のことをいうのかを、公務員時代を思い出し思い出しまとめていきます。
私の経験や情報の範囲内ですので、あくまで参考程度によろしくお願いします〜。
最低限の仕事すらしない
今は、「最低限の仕事しかしない」というだけでも、働かない人といわれてしまう不寛容な時代です。
私がいた職場には、「最低限の仕事しかしない」はもちろんのこと、「最低限の仕事すらしない」という職員が常に存在していました。
「この職員のこの職位であればこれくらいの職務は果たしてほしい」という最低限の仕事ってどこの職場でもあると思うのですが、その与えられた仕事すらやらないかできないというものです。
それでも、公務員なので、よほどのおイタをしない限り辞めさせられませんし、給与も支給されます。
ここで、公務員関係者からは「わかるわかる」と共感をいただける確信があるものの(笑)、国民の皆様からは「そんな奴らのために、なんで税金払わにゃならんのだー!」という怒号が聞こえてきそうです。
そのお気持ち、わかります。
でもですね。
その働かない人の仕事、誰がやると思います?
当然のことながらやらずに放っておくわけにはまいりませんで、管理職以外の職員で分担してやるしかないのです。
働かない職員よりも行政経験が浅い若手職員が、その人のフォローをすることも普通にありました。
そして、その分の仕事が増えても、給与が上がるわけでもなく、そのために残業をしたとしても、残業手当はある一定程度で頭打ちなのです。(まあ出るだけマシだといわれそうですが、なんせ微々たるもので・・・)
働かない職員よりも格段に少ない給与の若手職員が、普通に仕事ができるだけでガンガン割り振られる理不尽さ。
国民の怒りの気持ちもわかりますが、一番怒りたいのは、実はとばっちりを受けている若手職員なのかもしれません。
やりたくない仕事から逃げる
自分が嫌な仕事や苦手な業務は、なんとなくうまく逃げてやらずに済んでいくという職員もいました。
それでも、職場は回っていくのです。
なぜならば、先ほどと同様に、誰かがその分の仕事をするからです。
そして、これも先ほど同様、それで辞めさせられることも、給与がもらえなくなることもありません。
なくなるものといえば、出世とかプライドとか信頼とか人望とか???・・・なのでしょうか。(知らんけど)
でも、「そんなもんクソ喰らえだ!」(←言葉遣いがお下品で失礼いたしました)というメンタルの持ち主であれば、嫌なことをしなくても給与がもらえるこの職場は、楽園そのものです。
ただ、こういった職員は、不平不満を口にする頻度が尋常ではなかったようにお見受けしましたので、本人はどう思っていたのかは知りませんが、私からは楽しそうにはとても見えませんでした。
まあ、適材適所で上手く使えば、いかようにも変身する人材なのかもしれません。
仕事は一生懸命だが要領が悪くミスも多い
決して仕事ができたとは口が裂けてもいえない私がいうのもなんですが、本当に残念なほど仕事ができない職員と机を並べた経験があります。
「働かない」とは少し話が逸れるかもですが、この時の経験を語らせていただきます。
その職員は、勤続10年以上は経っている中堅どころで、汗をかきかき一生懸命に仕事をしていることは、職場の誰もが認めていました。
問題は、求められる結果を求められる期間内に出せないことで、結局周りがフォローせざるを得ない状況になっていたということです。
なぜ結果が出せないのかというと、マルチタスクが超苦手であることと、抜くところと締めるところが真逆なので、時間がかかる割にはミスや抜けが多いということでした。(まあ、人のこといえないんですが)
どこから手をつけていいのかわからなくなってしまったのでしょう、たびたびフリーズしていることは、隣から漂ってくる負のオーラで感じ取れました。
ひどい時には、パニックになって一人でキレていることもありまして、はたして声をかけていいものかスルーした方が親切なのか・・・と私の方がフリーズしてしまったほどです。
そんなこんなで、その職員の仕事を他の職員に割り振らざるを得なくなってしまったのは、内外問わず「いい加減早くやれ!」とお叱りを受けていたからです。(内とは上部機関からの厳し〜いご指導、外とはうちの役所に申請している請求者のこと)
割り振られた職員も決して仕事に余裕があるわけではなかったのですが、その時はたまたま気のいいメンバーが揃っていたということもあり、その職員を軽くイジリながらもワイワイ楽しく乗り越えてきたように思います。
ただ、私が在職していた頃と比べると余裕のない職場環境が多い昨今では、仕事ができない職員からこんなふうに仕事を割り振られることがあれば、上記に挙げたような呑気なことはいってられないのでしょう、きっと。
なぜ働かなくなってしまったのか?
そんな働かない職員を挙げてみたのですが、そもそもなぜ働かなくなってしまったのかということを、これも私の経験をもとに、時折自虐も交え、独断と偏見でまとめてみます。
働かない人の気持ちを多少なりとも鑑みることで、より適切な対処につながればいいなという思いで、挙げていきます。
はじめから働く意欲が低い
はじめから、働く意欲が低い、要はやる気がないというものです。
そして、繰り返しになりますが、公務員はよほどのおイタをしない限り、現行では辞めさせられることはありませんし、仕事をしてもしなくても給与額はさほど変わりません。
それゆえに、やる気がなくても生き残っていける環境だということです。
もしかしたら、はじめから、そんなにバリバリ働きたくない人やガンガン稼ぎたいわけではない人が、公務員を選んできたというのもあるのでしょう。
はい、まさにそれは私のことです(苦笑)。
民間企業と比べるとひときわゆるい雰囲気が自分には合っていると思ったのが、公務員を志望した理由の一つでした。
そして、そんな私こそ、特に若い頃は「働かない職員」の一人だったんだと、この記事を書きながら気づいてしまったのです〜(泣)。
私が公務員になった理由をここ↓にまとめてますので、よろしければどうぞ。
ある時から出世や高評価を諦め開き直ったり心が折れたり
はじめはやる気に満ちていて実際に仕事ができる人だったのに、ある時からぱたっと目の輝きがなくなってしまった・・・そんな職員も一定数います。
あの人も、昔はバリバリ頑張ってたんだけどねぇ・・・
陰で、そんなふうに言われている人もいました。
そういう職員は、同期との職位の差が出てくるだいたい40歳前後(もう少し早いかも?)に、「何か」があったのでしょう。
そう、自分がいわゆる出世コースに乗っているのかいないのかが、揺るぎなく確定してしまう時期なのです。
結局、仕事ができても出世できるとは限らない、という現実を突きつけられるのです。
もちろん、ある程度の能力は求められるものの、「組織内での(謎の)人脈」が出世に影響することは、公務員の世界では当たり前のこと。
人間関係を構築することが苦手だったり、いわゆるゴマスリ的なことを快く思っていない職員にとっては、それはそれは不満でいっぱいになります。
「なんであんな奴が、あの花形ポストにつけるんだ?!」
「自分はもっと評価されてもいいのに、なぜあいつの方が役職が上なんだ?」
そんなやるせない思いを抱きながら、そのうちこんなふうになります。
頑張って仕事したって、どーせこれ以上は評価されるわけでも出世できるわけでもないからさ〜
こんな感じで、半ば諦め開き直ってしまうのです。
これは何も、出世だけではありません。
職場内での人間関係(特に上司との関係)につまずいたことで、やる気を失ったという職員もいました。
いずれにしても、これまでプライドを持って一生懸命仕事をしてきただけに、心が折れてしまったともいえるのでしょう。
まあ、どうせやらなくたって、給与がもらえなくなるわけでも、辞めさせられるわけでもないですからね。
そこが、公務員のメリットでもあり、大いなるデメリットでもあるといえるのです。
そんなこんなで働かない職員が誕生するのですが、この人たちの気持ち、私はわからないわけでもないのです。
そもそも自分が働かない人だと気づいていない超マイペースさん
自分ではきちんと仕事をしているつもりだし、それなりに仕事はできていると自己評価しているのですが、実際はそうでもない人も存在しています。
たいがいそういった人は、自分の世界を持っている超マイペースさんで、それが周りをイライラさせているのですが、当の本人はそれには気づいていないご様子。
ある意味、幸せな人といえるのでしょう。
・・・おっといけない、書きながら気づいたのですが、それって「知らぬが仏」で自分のことだったのかもしれませんな(苦笑)。
「人の振り見て我が振り直せ」です。
これでイライラが激減?働かない人の対処法
自分の近くに働かない人がいるとイライラしたり、その人のせいで仕事が増やされたとなればハラワタ煮えくり返る思いになることもあるでしょう。
そんな働かない人の対処法を、自分の経験も含めてお伝えしていきます。
自分の仕事に集中する
私の経験上、自分の仕事に集中することは、イライラ回避にかなりの効果が得られました。
「自分の仕事に集中する」なんて、ちょっとカッコつけたエラそうな言い回しをしていますが、こんなふうにいえてしまうのは、自分がポンコツだったからにほかなりません。
ちょっとおかしい人と思われそうですが、私はそもそも、他人が仕事をサボろうが超マイペースだろうが、あまり気にならないタイプでした。
その理由は二つありまして、一つは「私自身が昔から要領が悪く仕事ができる人間ではないので人のことは言えない」ということ、もう一つは「自分の仕事をこなすのに手一杯だったから」というのあります。
だから、「あの人、全然仕事してないけど、ふざけんなよ!」とイライラしながら文句を言っている職員を見かけると、「あんなふうに人を見ている余裕があるなんて、よほど仕事ができるんだな」なんて、嫌味ではなく本気でそう思っていたのです。
理由はさておき、私の場合は、自分の仕事に集中していた(せざるを得なかった)せいか、他人の仕事ぶりにイライラすることはほぼなかったといえるので、これはある一定効果はあったと思っています。
そして、この「自分の仕事に集中する」ということに関連して思い出したのが、アドラー心理学の実践本ともいわれるベストセラー本の「嫌われる勇気」でした。
この本が評判になった時にはすでに公務員を辞めていた私でしたが、初めて読んだ時に、「課題の分離」という考え方を知って、「これが私が求めていた答えだ!」とハラ落ちしたのです。
われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。
(中略)
あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むことーあるいは自分の課題に土足で踏み込まれることーによって引き起こされます。課題の分離ができるだけで、対人関係は激変するでしょう。
(中略)
誰の課題かを見分ける方法はシンプルです。「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」を考えてください。
出典:「嫌われる勇気」岸見一郎・古賀史健著 ダイヤモンド社より一部引用
働かない人の課題を最終的に引き受けるのは、働かない人本人であり、他人である自分がいくらイライラしたとて最終的な責任を負うわけでなないということなのでしょう。(ただし、働かない人が直属の部下の場合は話は別になるかもですが)
こういった働かない職員をなんとか変えたいと思い、本人に注意をしたり上司に訴えたとしても、当の本人が気づかないかぎり、何万光年経とうが「変わることはない」といえます。(私だってそうだし)
相手が変わることを期待するよりも、自分の心持ちや捉え方を変えた方が、よほど効率的かつ効果的であることは、これまで働かない人と関わってきた経験により実感しています。
自分の部下でもないのに、他人の仕事ぶりを気にしてイライラしたり、余計な心配をしたり、アレコレ介入するほど、自分の貴重な時間と労力をダダ漏れさせるものはありません。
だったら、自分の課題、自分の仕事に集中した方が、ストレスも減って仕事もはかどり一石二鳥なのではないかと思いました。
人の課題に踏み込まないだけでも、人生の荷物を軽くし人生をシンプルにすると、アドラーも説いています。
自分の課題、自分の仕事、ひいては自分の人生に集中する・・・私も、そんなふうにシンプルで軽やかに生きていきたいと思っています。
仕事を割り振られたら毅然とした態度で断る
とはいっても、働かない職員の仕事を割り振られてしまうという実害が出てきたら、話は違います。
私はそんな状況になった時には、自分の仕事に余裕がないのであれば、その状況を伝えて、キッパリお断りをすることもありました。(しつこいようですが、直属の部下の仕事であればその限りでないことも)
何をもってしても、自分の与えられた仕事が最優先です。
それができてはじめて、他人を助けることができるのです。
自分の仕事がそのせいで滞ったとて、最終的に誰が引き受けてくれるわけでもなく、責任を取るのは自分しかいないのですから。
それでも、どうしても断れない場合には、例えば次のような話をしたうえで、覚悟をもって引き受けることとしていました。
- 自分の仕事の現状をふまえ、引き受ける仕事量の限度はここまでであることを伝える
- 仕事の優先順位を確認したうえで、仕上がりが延長する可能性があることを伝える
- 引き受けることにより、これまでと同等のクオリティが保てない可能性があることを伝える
このようなあたり前の内容であっても、事前にきっちりと自分の意思や考えを表明しておくことで、何かあった時に多少なりとも自分を守ることができ、物理的な負担はもちろん精神的な負担が和らぐのです。
とはいっても、実際には自分の思い通りになることばかりではありませんでした。
それでも、こうすることで、むやみやたらに仕事を頼まれたり、都合よく使われることはなくなったように思います。(いや、ただ単にめんどくさいやつと思われていただけかも?)
「働きアリ2:6:2の法則」では・・・
正直に言います。
私は現役時代、働かない人の存在をありがたく思っていました。
その理由は、働かないといわれる人がいてくれるおかげで、自分はもしかしたら働かない部類に入ることを免れているのかも?と思っていたからです。
いや〜〜めちゃくちゃレベルの低い話をしてしまったので、意識高い系の人からは呆れられそうですな。
でもこれ、「働きアリの法則」もしくは「2:6:2の法則」に繋がってくるのではないかと思い、今回内容に盛り込んでみました。
この法則のことをご存知の方は多いと思いますが、「よく働くアリが2割、普通に働くアリが6割、サボっているアリが2割」という法則が、人間の集団組織にも当てはまるというものです。
そして、北海道大学大学院農学研究院准教授の長谷川英佑氏が、2012年にこのような論文を発表されました。
2012年12月7日プレスリリース「働くアリだけのグループにしても働かない個体が現れることを証明」PDFはこちら↓
https://www.hokudai.ac.jp/news/121207_pr_agr.pdf
ここでわかったことは、働かないアリを間引いて働くアリだけにしても、その中で働かないアリが出てくるということ。
逆に働かないアリだけにしても、その中で働くアリが出現してくるというものです。
人間の組織でいえば、働かない職員を辞めさせたとて、また新たに働かない職員が出てくる。
そして、よく働く職員が全部辞めてしまい働かない職員だけになってしまったとしても、その中でよく働く職員が現れるということなので、集団組織としてはなんの問題もないということなのでしょう。(たぶん)
この法則を知った時はすでに私は公務員を退職していましたが、とても腑に落ちたと同時に、働かない人がいるのはしょうがないことだったんだ・・・という諦めの心境にもなりました。
この北大の研究には、続きがあります。
その4年後の2016年に新たな研究成果が発表されたのですが、その内容とは「働かないアリの存在は集団の存続のために必要だった」という私にとっては衝撃的なものでした。
2016年2月17日プレスリリース「働かないアリはコロニーの長期的存続に必須であることが判明」PDFはコチラ↓です。
https://www.hokudai.ac.jp/news/160217_agr_pr.pdf
働かない人も、その集団組織にとっては必要だったと捉えれば、働かない人だったのかもしれない私だって、必要な人材だったということですよ、奥さーん!
そう思った時に、とても救われた気分になりました。
最後に余計な一言を。
批判を覚悟で申し上げますが、もし働かない人にイライラするのが嫌なのであれば、いっそのこと自分も働かない人になるというのもアリなのでは?(オヤジギャクが痛すぎます・・・)
公務員だったらそうそう辞めさせられませんし、仕事だってなんやかんや回っていくことは、すでに経験していることでしょう。
どっちにしても、必要のない人なんてこの世にはどこにも存在しないんですよね、きっと。
おわりに
働かない公務員の特徴や働かなくなった理由、その対処法をお伝えしてきました。
長々と綴ってきましたが、今回一番伝えたいことは、実はこの1点だけだったのです。
自分の課題、自分の仕事、自分の人生に集中すること
これを意識しはじめてからは、生きていくのが随分と楽になりました。
はい、今日はこれでおしまいです。
ありがとうございました。